アサリの島流し 317日目 - 音楽というもの
演奏が終わって、次はああいうのやりたいね、って話するの。また今度はこんな感じで。
また今度がすぐにあるということ。
不意にふと、ああ、また今度がすぐにはできなくなるのか、と考えた。
1年ほど前に高円寺を離れる時、送別会という名の大セッションパーティをreefで開いてもらった。(寂しいことにこの箱ももうすぐなくなってしまう)
その時も思っていただろうけど、1年したら戻ってきてまた…ってわかっていたことで、少し和らいだような気がする。
私、次はいつ来れるんだ。
そしてこの島の人達とみんなで、また演奏できる時は…。
そのことに、ふと、気づいてしまった。
ここ最近、毎日あらゆる時間の隙間、ずっとギター抱えている。
帰る前に…!と、ここへ来て本当にたくさんの機会を与えてもらってる。
この一年の濃さを凝縮したみたいに。
昨日今日は島唯一のデイサービス忘年会にお邪魔してギターで島の先輩と演奏してきた。
1人1人が私とその人の間に何も挟まずまっすぐ聞いてくれているような、その場で歌うことは特別だった。
この場所で働く友達もいるし名前はよく知りながら、初めて足を踏み入れた場所。初めてきちんと会った1人1人と話し合うみたいにじっと見つめられた時間。
そんな風に聞いてくれる人と一緒に作れた音楽は、その短い時間にあまりにたくさんのものを教えてくれて、私の方がとびきり幸せにしてもらった。
そしてこの2日の間に、素敵なプレゼントをもう一つ、突然もらうことになった。
それは、8月に台風で船が欠航して幻となってしまったイベント…小笠原といえば、というシンガーOkeiさんと仲間のライブもクリスマスイブにリベンジするチャンス。
もっとたくさん話したかった、音楽の場を共にしてみたかった方と、島民のうちにまた会えることはあまりに嬉しい。
音楽というものがどんなものか、私は前よりよくわかるようになった気がする。けれど、前よりもっと、説明が難しくなった。
何かの楽器を弾けること、名前のついた種類の曲、あるリズムに合わせられること、円盤や光信号やテープに封じ込めた情報…みんな音楽として呼ばれるけれど、それはまるで手のひらで海の水をすくって「これが海です」と話すことに似てる。
「今の音楽」それは、その瞬間のあらゆるすべて、だ。
私が船に乗る前の最後には、島でいろんな音楽に一緒にチャレンジしてきた仲間がライブを企画してくれた。
ジャズバンド
ロックのバンド
アコギやピアノ
太鼓
一緒に踊って
歌って飲んで
ほんとにこの島の人は、身体いっぱい音楽をしている。私も身体いっぱい使ってきたなあ。
ひとつひとつの場がまたとないこと。
1日1秒を、あとわずかなこの島での音楽を生きている。
アサリの島流し 315日目 - 手の中にある未来
今日は真夜中の呟きと少しリンクしながら。
いい時に通り雨が、さあっと降って私達は帰る気になった。
広い地球の中の途方もなく広い海の本当に小さな一点にも満たない島で、世界を夢見て眠る青年達の野心の話。ぶつかり合うこともあればそれぞれの描く幸せは違う私達が集まり、なんだかわからずとも島の為に働くことの示す意義を知ったんだ。
内地にいていわゆる「地域の集まり」である青年会や婦人会に参加する…ということは、地域に関わりの深い職業についていないと…あまりない。
もちろんどこの街にもあるのだろうが、生まれ育った実家にずっといる…とか、結婚してそこで暮らしている…とか、とにかくその街にずっと長くいないと参加しづらい。
ある年になったら一人暮らしを始めるし、現代は独身の期間が長くなって、結婚したら子供を育てるので手一杯で…。
一人暮らしになってから本当に何回も引っ越しながら、アパートの隣の人すらわからない、という場所ばかりで暮らしてきた。
そんな場所ではいつだって、「地域の何か」から私達独身フリーターや会社員の20〜30代は蚊帳の外だった。
そんな環境、そんな時代…と思い、まさか自分が関われると思わなかった青年会。
これに参加できたことが、今まで知らなかったたくさんのことをこの島で学ばせてくれた。
この島がいい意味で切り離され独自の進化を遂げているのは、自然だけじゃなくて人間や社会も、なのである。
6月くらいから毎度のように祭りが続いて、その度に青年会の出番も続いてきたけど、クリスマス子ども会が年内最後の行事だった。
青年会は毎年オリジナルのちょっとした寸劇を観せていて、私も…実に十数年ぶりの芝居を 苦笑
私はちょろっとだけでる前フリの子ども役だったから、プレゼントを楽しみに布団で寝るだけ…なのになぜかきゃっきゃする、子どもの笑いのツボは不思議だなとつくづく感じた…。
婦人会が中心になってコーラス、吹奏楽、手話、南洋踊り…など様々なサークルのクリスマスにちなんだ出し物。
女神様からのクリスマスに関するお話を聞いたり、サンタさんもやって来て、乳児から中学生まで一人一人プレゼントをくれたり、ケーキを食べたり、歌を歌ったり…。
ビッグサイズで愛情たっぷりのケーキも美味しかった!
この島に生まれたかった…と思うくらい素敵なイベントだった。ここの子どもは本当に羨ましい。
あとで道で会った子に何もらったか聞いてみたら、みんなそれぞれ違うその子に合った物をちゃんと受け取っている。
自分の名前の入った色鉛筆をもらった、という子もいてびっくりした。
母島にやってきたサンタさん
都会でも…みんな同じ景品的な物や図書カードとかもらったりはあるかもしれない。
私がプレゼントをする時に一番大事だと思うことは「相手のことを想像して選ぶ」という行為だ。
自分が子供の時でも、選んでもらった物はどんなに希望と違っても嬉しかった。自分であとで好きな物を買えるお金や券よりも何倍も嬉しかった。
一人一人に対してちゃんと選ぶ、今では実際の親だって、子どもにその時間を省いてしまうことがあるというのに。
それができる大きな家族の様なこの島の豊かさよ。
大きな家族の働き盛りにあたる我々青年会。クリスマス子ども会を終えたその日の夜、行事の一区切りで忘年会をした。
この島はサッカー好きが多いので、鹿島の活躍を観戦しながら宴会。
私が最初に参加したのは総会と歓送迎会だったが、人数が多くて誰が誰やらわからなかった。
けどダンスして、パン食い競争して、焼きそば作り、ビールを売り捌き、御神輿担いで、寸劇やって、その度飲んで…。
今じゃそこにいる誰とでも2人でもきっと飲める仲間になってた。
(1人暮らしの部屋に皆で押しかけて、次回はビールサーバー用意しよう!と買うものリストにイタズラしたら却下された図 笑)
サッカーの延長戦から最後はいつもの真夜中。
私達はいろんな話をする。
いつか何かをやりそうな感じじゃなくて、やるんだよ、いや、もう始めているんだよ。
もうずっと前から始まっている、きっとみんなね。
母島青年会、私は参加できるのはあと元旦の残すのみだけど…。
最後まで忘れたくないことばかり!
アサリの島流し 307日目 - その先の場所
350日目のその日、東京・高円寺へ。
この一年で知った知らなかった(そして、素敵だったから走りメモした)音楽は、一年に300回ライブ見た年より多い。
音楽は音楽の中になく、人生の中にあった。
知るということの奥深さを知るのは、中学生の時に出会ったソクラテスからドアを開き、今もどんどん進む程に無知を知る。
私はもしかしたら、今年も、去年までよりもっと音楽していたのかもしれない。
年の瀬が近づいて、いよいよ帰る日まで数えられる様になってきたけど、最近ちょっと涼しいくらいであんまり実感のない、島ではいつもの日々。
職場看板犬のマリンと散歩すること。
みんなでがじゅまるの木にクリスマスの電飾をつけること。
お昼に島野菜を食べること。
友達と酔っ払うこと。
昼休みの海が眩しいこと。
本場直送モツ鍋を食べること。
持ち寄り一品の材料が重なって、餃子の皮で新メニュー開発すること。
住宅のベランダがリゾートみたいに手作りカスタマイズされてること。
誰かと、出会っては別れるけど、また会えるだろうね、と話すこと。
近頃ふと考えたこと。
「(あることについて)こだわらない」と高らかに発することは、まだそのことに「こだわっている」のと同じだ。
最近、帰ってから島に来る前と同じように音楽をするかわからないと思うようになった。
けれど島に来る前よりずっと、私の中には音楽が流れている。
秋のちょっと前から少しづつ、私は自分の新しい暮らしをデザインし始めた。
それで最近ついに、次に私が帰る場所をみつけた。
年明け1月の半ばから内地に帰って、このシェアハウスに住み(というより参加する、という言葉の方がしっくり来るかも)ます。
その場所はこちら↓↓
人と人をつなぐ、というのはライブハウスであれどこであれ、今までも割とたくさんやってきた様な気のすること。
けれどここまでバーン!とはっきり言いきった名前の場所、そして人のエネルギーに引き寄せられちゃったのは、自分でも何か不思議な縁の様な気がしてる。
またたくさんの知らない人に出会うだろうし、またいろんなことを教わるだろう、と、ちょっと楽しみに思うこともあります。
私と音楽と暮らしの中で見つけた種は、島の太陽と風と海と人々の栄養をもらった。
その栄養は私の人生のいろんな場面できっと花を咲かすだろう。
それなら今度は、私が新しい種を飛ばす側になろう。
それが私の「島流し」約300日の間から生まれたこと。
あー、あと1ヶ月ちょいの感覚がまったくないなあ…苦笑
アサリの島流し 288日目 - 巡り合わせる星
縁という巡り合わせは、七夕の様にそれぞれに自身の道を動いてる星と星が、まさに巡っている中で合わさる瞬間である。
それは私が高円寺にいても、大阪や博多にいても、母島にいても、それを注意深く待っていると、偶然、巡りが合わさる時に訪れる。
すべての事には意味がある。
それはすべてのことから、意味を見つけるから。
(先日、小さなまりあちゃんが通りすがりにくれた花)
ちょうど一年半前くらい、その前の年には行けなかった福生のカニ坂ロックフェスで、ヨガをやっている人と出会った。
ちょうどその頃、私はヨガに興味があっていろいろやってみていたけど、できたら習ってみたいなと思っていた。
結局時間が中々合わずじまいのまま母島に行く事になると、その人からメッセージが来た。
小笠原に先生が時々行くらしいから機会があれば…とのこと。ただ、行くのは父島ではないかな?という話で、それはなかなか難しいだろうと思っていた。
秋口に島の人経由で職場の宿の予約が入って、後からヨガの先生らしいと噂を聞いた。母島にもそういう人が来るのだなあ…せっかくだし受けてみよう!と思っていたら…。
…その人がまさに最初のメッセージの不久先生だった。
巡り合わせた星間には引力が働く…
かの様に私は5回参加した…不久ヨガ教室は11月の半ばに行われた。
ヨガや瞑想には1人の時にチャレンジしていたけど、人からきちんと教わるのが初めてでひたすら楽しかった。
自分のやり方でも地味にやっていたおかげ、一つ一つがすっと身体に馴染んだし、先生の話はいつも興味深くてしっくりきた。
クラスの後にMeditationに関心がある友達といろいろ談義したり、新しいことを学ぶっていう久々の出来事にたった3日だけど頭の中がワクワクするエキサイティングな日々だった。
(ヨガ教室の後、走って見に行ったマジックアワー)
その余韻に浸ったままの先日、今度は血湧き肉躍る方の身体がエキサイティングな行事があった。
月ケ岡神社のお祭りだ。
とてつもなく急な階段の先の神社で、普段は「ここで飲んだら帰りは転げ落ちるのではないか…」と思っていた神社。
それどころか、あの急坂から御神輿が行って帰るとてもパワフルな祭りだった。
島の青年会に参加してたから、法被を借りて担ぎに混ぜてもらう。
集落のいろんな会社、店、学校、役場なんかへ寄って、セイヤッセイヤッ、わっしょいわっしょいとやる。
御神輿を担ぐのは子供の時以来な気がする。大人の神輿は重たいんだなあとしみじみ。
肩はもちろん腕や脚もパンパンになって、手ぬぐいも法被もじっとりするくらい汗をかいた。
(職場の仲間たちと!)
自分の職場近くになると、前に行きな!と先頭で担がせてもらった。
だんだん掛け声は身体の動きとぴったり一つになって、腹筋もわっしょいわっしょいしていく。
帰り、最後の急坂は担いでないのに上がるのもゼイゼイ…していた。
そして…夜は同じく青年会が祭りでいつも担当する焼きそば屋台をちょっと手伝いながらの祭り。前から聞いていたけど…月ケ岡と言えば…
カラオケ大会!!笑
前の御嶽神社の祭りはある程度決まった人が歌っていたが、オープン参加感の強いこちらの祭りで…私も歌わせてもらいました 苦笑
この島に来て初めて…の久々ハンドマイクでしたが、温かくて歌いやすかった!
ちょっと挨拶してから歌う感じだったので、私ももうすぐ引き上げるということを話してから歌わせてもらった。
のもあって、その後いろんな人が声をかけてくれた。
いつのまにか、こんなにたくさん…というかほとんどの人…を私も知っているんだなあ。
同じ歳の友達と選曲について盛り上がったり、島のベテランさんと酔って肩組んだままステージに乱入したり、友達のデュエットをひゅーひゅー冷やかしたり…。
そんな風に飲んではしゃいでいたら、不意にある人が
「御神輿担いでくれてたよね、ありがとう。」
と声をかけてくれた。
私はなんだかじーんとしてしまった。
ここで暮らすことが出来てんだなって。
巡り合わせで始まった縁。
この島になんで来ようと思ったの?
とよく聞かれる。
9月、私も日本語版を愛読している雑誌のライターさんが職場の宿に来た時、それを答えたら
「そりゃおもしろいキャッチコピーだね!」
と言われた…最初のきっかけは。
日本各地の離島について書かれた本の中で「母島が一番遠くて不便な場所だった」から。
日本で一番遠い島に暮らしている。
そしてそんな場所で、こんなにいろいろな縁が巡り合わせた。
なんて奇跡が溢れた世界なんだろう。
私はここで会った奇跡をきっと忘れない。
そして、ここを離れる日が来ても、この島や人と、またきっと巡り合わせる気がしてる。
アサリの島流し 265日目 - 幸運な同級生と南の島のハロウィン
大人になってから出会う同じ歳の友達と言うのは、無数に入り混じった中に同じものをひょっと見つける様で、有り難い。
けれど都会の暮らし中では年齢の話をしなかったり、私の歳になれば見た目もすっかり職業に染まるので、中々見つけづらい。
そんな時にふと、あれ?同じ歳じゃん!ってなると、その瞬間まるで子供の時と変わらなくなる。みんな職業や過去の鎧を脱いで、同級生の顔になる。
私はその瞬間が大好きだ。
だから、大人になってから出会う同じ歳の友達は特別だ。
こないだまでの東京ではセーターをしっかり着ていたけれど、やはり母島は暑い。
ギョサンを履いた足の甲や、捲り上げた肩が、日差しでジリジリ痛い。
もう一度真夏の服に着替えていつもの日々が始まると、立て続けに待っていたのは慌ただしいお別れだった。
今回はあまりたくさん飲めなかった木こりさん達アーボマン。
前回7月の出来事はこちらを参照!→http://shima-asari309.hatenablog.com/entry/2016/07/28/232429
帰ってすぐの日、またみんなギター持ってきてアンプラグドセッション。
(前より島のギター弾きが何人か増えた!)
彼らが乗る出港日は、島の様々な人に愛されてるアーボマン。他にもたくさんの人が同じ船で出港で、とても華やかな見送りの日だった。
フラのメンバーがいたらしく、踊りと子供達の歌声の見送りをやっていて、とても美しかった。
きっと…次回は私が彼らに会いに行く番だ!
それから休む間も無くやってきたのはハロウィン。
南の島のハロウィンは島のみんなが形様々に参加を楽しみにしているお祭りだった。
昼は子供達が仮装して、お店や宿、家々はみんなお菓子を用意したり飾り付けをして待った。
私の職場でもささやかながら、宿泊のお客様が何人かいたのでかぼちゃのキッシュを夕食に作った。
そして大人のハロウィンパーティは…
恒例のClub脇浜にて 笑
どこから仕入れたのかみんな超本格的仮装!
最近、お客さんアンケートで美男美女の多い島…という評判があったらしいですが、島の女子仮装はみんな気合い満点ビューティフル!
久々にてろんてろんに飲んで踊ったその翌日。
それは島で一番しょっちゅう飲んでた気のする友達が引き上げる日だった。
酔いをさましながら布団に飛び込んで、初めて夜明け前に起きて、朝日を見に行った。
私も9ヶ月いて初めてだった。
新ヘリポートを朝焼けが包んだあと、海から私達までまっすぐ道ができるように朝日が上がった。
ほんとラッキーな友達だ。
ううん、友達になれてラッキーだったね私ら。
集合写真のセルフタイマーを仕掛ける彼女の背中には、虹までかかってた。
あと2ヶ月したら私も帰るけど、これ以上のラッキーに出会えるかわからないよ。
けど幸運なことに、私の親戚がいたり去年ツアーにいった福岡に彼女は帰る…らしい。
まったく、なんてラッキーなんだ!
また必ず飲めるじゃないか!
そしてラッキーを使いまくった私は、大事な見送りをきっちり終えて11月、島に来て初めての風邪を見事にひいたのでした…苦笑
アサリの島流し 260日目 - 形のないお土産<内地帰省編 下>
東京の街は何かが充ちている。
それは、ちょっとタイプは違うけど、森に似ている。無数の気配に囲まれている。
違うのは、森はなんとなく話しかけられるけど、街は話しかけづらい雰囲気、というところ。みんなすくっと立っている。
森のwelcomeな気配って…なんなんだろう。
今回の内地帰省では毎日いろいろ新鮮で楽しかったのだけど、一番記憶に残ったのは、帰りの船に乗って戻る前日の事だったかもしれない。
内地帰省編の最後はその日のことを書きます。
(場所柄、写真があまり撮れなかったから文字で頑張ります。)
帰省前の島から船に乗る少し前、何かで飲んだ帰り、太鼓の先輩に声をかけてもらった。
「ちょうどその時にいるなら、都心の老人ホームへ太鼓叩きに行かない?」
ほぼ毎日宿を動くのにバックパックがちょっと重かったのは、お土産がたくさんだったのと、太鼓のバチが入ってたからもある。
地下鉄の駅で先輩と待ち合わせて、坂道がちな都心ど真ん中の静かな街、ひっそり佇むホームへ向かった。
(島の人に駅待ち合わせとか長袖着てるとか、ごく普通のことも何か可笑しかった)
そこの利用者はデイサービスで利用する方から、かなり寝たきり近い住んでる方まで、とてもたくさんだった。
最近まで身近でお年寄りに会っていたから、初めてこういう場所に入ったけど、割とすっと慣れた。
その施設利用者のご家族がお金を出し合って買ったらしい、小さいけど立派な和太鼓を持って、音楽療法士の方と共にいろいろなフロアをまわる。ここでは日頃から和太鼓をやっているそうで、肩を動かす運動にもなるし、リフレッシュになるし、第一にお年寄りの皆様、太鼓の音楽が本当に好きなんだそうだ。
歩ける人は立って、車椅子の人は座ったまま、先輩や療法士の方が下を打つ上に、思い思いに叩く。みんなリズムがいいし、ほんとに楽しそうに叩く。周りで叩かない人は、手拍子して自然に歌う。(私もなんとなく合わせて歌ってたら、2曲くらい民謡覚えた!)
日舞のお姉様もボランティアに来ていた回は
「お兄ちゃんも踊るの!」
と言われて姉様達の間にサンドイッチされてぎこちなく踊りました 苦笑
(この日会った8割くらいの方が、髪型から私を中高生男子と思っていたようです 笑)
各回ごと、一通りみんな叩いたら、私達は小笠原太鼓を叩く。寝たきりの人には部屋のドアを開けて部屋の前で叩いた。
こないだデビューさせてもらった私の太鼓は正直まだまだ…なのだけど…
↓デビューの時の話
アサリの島流し 246日目 - 月に梯子をかける - アサリの島流し紀行
お兄ちゃん偉いね…偉いね…と孫のように私を抱きしめようとする方。来てくれるなんて…思わなかったよ…と涙を流す方。
一杯やりながら神輿担ぐよ!と意気上がる方。
うちのひ孫があそこに住んでるから、行って聞かせてあげてほしい、と一生懸命話す方。
いつもは意思疎通が難しいのに、初めて笑顔を見せたらしい方。
私は人の前で音楽をしていた。ライブハウスという、演奏する側聞く側どちらも「あれしたい!これしたい!」を毎日ぶつけ合う場所にいた。
なんだろう。
こんなに有り難い場所は初めてだった。
それはついこの前、カヌー大会の夜のあの子のことを思い出さずにはいられない。
↓カヌー大会の夜のこと
アサリの島流し 230日目 - 9月のこと - アサリの島流し紀行
ちょっと本当にうまく言えないけど…
胸の中に柔らかい香りが充ちるようだった。
私はふと、今の島の暮らしから形のないお土産を、東京に持って行けたんだって気がついた。それは必然的に。この島を離れた後の事につながる。
帰省する事を決めた時、私は島から帰る日も決めました。
350日目に、私のホームであったライブハウス・高円寺ミッションズが高架の耐震補強工事による移転先が決まらず、一旦閉店する。
その日にそこへ行けるように帰る。
母島も高円寺も同じように愛しくなった今、寂しい気持ちもあるけれど。
島の暮らしが、自分の中にすでにできてきていた何かを見えるように、目を開かせてくれたんだと思う。
そして、今まで全然なかったアイデアが夜明けの光のように射し始めた。
350日目まで、あと100日を切った。
帰りの船でもしっかり飲んで、テイクアウトのハンバーガーお土産を26時間かけて持ち帰って、また汗だくの島に戻った。
ははじま丸も慣れるとあっという間。
デッキに飛び出すと青い鮮やかな島が見えて、ああ、あと100日がはじまるんだ
と思った。
内地帰省編…やっとおしまい!
アサリの島流し 254日目 - 会いに行くと決めたから<内地帰省編 中>
自分や友達、人がそれぞれの速度で少しづつ変化するのはまるで夜空のようである。
星々がそれぞれの速さで動いたり、近くの星は星座を形作ったり、その星座がそれぞれの位置を動いていく。
島に来てから夜空の星をじっと見てると、止まっているように見える星たちのわずかづつの動きが見えることに気がついた。あれは自分の動き、地球の自転の速さで。
前記事の帰省編、続きを書きます。
今回、たくさんの再会があった、こと。
一番たくさんの人に会ったのは、やっぱりライブハウスだった。久々に降りた高円寺・中野あたりは、昨日までも同じようにここにいたような気がする、そういう街だった。
一番の行きつけだった、スタジオコヤーマの変わらない眺め。
今回泊めてもらったりもした変わらないやきとり遊助とBOSSコヤーノ。
子猫だった黒猫のジジ坊は大きくなって、やんちゃ盛りの成猫になってた。
いつものようにハセッチのBar森。
相変わらず無茶振りにも飛んで来てくれる先輩たこボーさん、相変わらずちびまる子なごーだ。
飛んで来てくれる、と言ったらこの人達!
いつも一番頼りになる…濃すぎるギタリスト&ベーシストの先輩ファイブ…というか高円寺の呑んだくれスタメン(スターメンバー!…で 笑)
私の働いていたライブハウスにも行ってきた。
実はもうすぐ…ここは無くなってしまう。
ライブハウスのブッキングという仕事をしていた。でも自分が仕事したバンドは、その仕事を超えて大事に思う友…音楽の戦友みたいになる。
私が行ったこの日は特に親しく、リスペクトしているバンドが出てた。
久々のライブハウスは…密閉された会場の音を久しぶりに聞いたので、ライブハウスってすごいなあ!と初めてきた日のことを思い出した。
公私ともに仲良くしてくれる奇跡のアンサンブルバンド、レクターの5人。なんかちょっと上手くなってた!会わない間にDr.ワタナベはお嫁さんもらっているし!
相変わらずにすごくて、どすんと腹にくる雷怒音。好きな一曲の歌詞をほとんど覚えてることに気づき自分で驚く。
おいー!アサリー!とどつきながら話しかけるジャギーさんの声は、さすがの声量…相変わらずでかくて笑ってしまう。
見た感想がすごく変わったのは山崎怠雅バンド。仕事でも数えきれないくらい聞いていて、圧倒的な音なのは変わらないのだけど…なんか、若々しい、直球の歌声に感じた。すっと染み込んで聴き入った。
それは、私が変わったのか、怠雅君が変わったのかわからないけど。
ライブってやはり演奏側と聞き手側がどちらも合わせてひとつの音楽を作ってるんだなって改めて思う。
相変わらずの打ち上げで、フロアの端で沈没するまで呑んだ高円寺。
まるで島に来る前と変わらない景色…でも少しづつ、私もみんなも変わったのかもしれない。
本当に久しぶりだったのは…甲府。実家には本当しばらくぶりに帰った。
昔から戻ると必ず会う友人、それからすごく昔にお世話になって中々会えなかった甲府のJAZZバーマスター兼カメラハウスの社長にも再会。
髪型が坊主になって初めて会ったけど、一瞬で誰かわかってくれて、愛を感じる。
少し離れてからこそ、それがきっかけになり再会できたり、いろんな話をするようになったり。
いつも見送り、迎えに来てくれたり。
ライブハウスで働いた2年、それからその前のブルースバー、学生時代…もっとずっと昔から…。
近づいたり離れたり、空を回る星のように。
友達はいつも心の側にいてくれる。
夜空を見上げないと星は見えない。
内地ではあまり見上げたりしなかったんだな。
よく見ると、空は無数の星がシャンシャン瞬いている。
会いに行くと決めたら、ただそれだけでよかったのね。
ここに書ききれないほどたくさんの今回会えた友達、みんなありがとう。
帰省編、あと1記事だけ…続く!苦笑