アサリの島流し 45日目 - もしもコンビニがなかったら
私の一番好きな歌の歌詞に
”The night was dark. It was blackest that I've ever seen.”
というのがありますが、母島の夜はまさにそれでした。
街に「もしもコンビニがなかったら」どんな風だったか、想像ができるだろうか?
コンビニがなかったら、人の暮らしはどう違うのだろう?ということを今日は考えてみた。
そう、母島にはもちろんコンビニがないので、夜になればどんなに車を走らせようが買い物は朝になるまでできない。一番ゆっくりな閉店の18時を過ぎたら自販機しかない。朝が来ても各店の休みが重なりうっかり島内で全く買い物できない、という日もある。
街灯も多くないし、店は夜には開いていません。旅行に来たお客さんが1日目で夜にお腹空いてそれを体感し、2日目にはどっさり買い出ししてくるのもたまに見かけます。
夜にはお腹すいても買いに行けないからです。
私も来てからお菓子も蓄えてなかったしばらくは、賄いを必死にどっさり食べ、どうしても食間にお腹すいたら飴を舐めたり、缶のミルクコーヒー飲んで紛らわせてました。
必然的に夜なにかを食べることがかなり特殊なことになります。
最近では飲み会にも誘ってもらえるようになって、この島の飲み屋さんにもちょろっと行ったりしました。
普通にたくさん美味しいメニューあります。
ただしもちろん!23時頃には皆ちゃんと閉まります。
そしてほろ酔いのてっぺん24時付近になると、飲んでる人に会うのはがじゅまるの木の下。あとは家飲みの人たち…の歓声が明るい窓の向こうからちょっとだけ聞こえるくらい。
夜は寝る、というのは規則でも誰かに教えられたわけでもなんでもなくて、暗いし店閉まるから寝ます。
私は高円寺にいた時は…夜中まで仕事して朝まで飲んで明るくなった夜明けに寝て…ドラキュラのような暮らししてたな…。
注)帰り道明け方の写真です。
今この島にコンビニがもしあったら…便利だろなあと思うことがないわけではない。
けれど、もしあったら夜更かしが際限なくて、朝早い仕事なんかできなくなってただろうな。
そして心の夜も”The night was dark”になっていだと思う。今更だけど、ほんと、ちょうど良く寝て気持ち良く起きるいうことは人にとって最大のリフレッシュになる。
そしてもうひとつコンビニがなかったから劇的に変わったことが…それは
お金を使うことが本気で減った!
ただ、島の物価はとても高いです。昨日話した人が、「来て最初に箱ティッシュとバター買いに行ったら1000円超えてたまげた!」という話をしてたほど。
それでも店が開いている時間が決まっていれば決まっている時に買いに行くので、無計画についで買いとかがほとんどできない。だから無駄な買い物が好きでもできないのです。
↑島の重要ショップ漁協と農協
島でお金つかわないのは、交通費ないからかと思いきや、この「ちょっとコンビニ」ができないのがめちゃくちゃ効いてる。
加えて言うと、店が無い分ネットショッピング頼ることが多く、ついついポチッとのリスクは高くなりますが、これの配達も一週間以上かかったりするので、だんだんと冷静になります。無駄なものをポチッてたとしても、即日配送のサイトでさえ来るまでかなりかかるし、「ああやっちまった…」という反省時間が大変長くなります。洋服なんて、季節変化が少ない分あまり必要ないし。
だからか、とにかく島には余計なものの所有が少ない。余計なものを持ちまくってる人はあまり多くない。
それは、買うということにとても手間がかかるからなのだ。
ここは船でしか来れない海の彼方のみたいなとこだから当たり前なんだけども、私が住んでいた街に…もしもコンビニがなかったら?って想像してみた。
もしかしたら長い夜が少しだけ上手に過ごせたり、余計なものをもたなかったり、いま持っているものを大事にできたかもしれない。
消費っていうのは確かに経済にとって大事かもしれない。けれど通貨っていうのは、人間の衣食住や生物の命を上手に交換して配分できる為のものや仕組みで、株は食べれないけれどカブは食べれる。
離島の暮らしからすると都会の暮らしは、一歩ごと罠だらけの巨大天守閣にみんなで攻めてるみたいで、なんだか遠くの国みたいに見える。
世界ってのは複雑ながじゅまるの木みたいにできている。その頭の上の枝先の葉の形を思い通りにしたくて、根っこに働きかけたところで全くの思い通りな形にならない。
ひとつのことが、さまざまに関係して影響してたりする。
内地に戻ってからも「コンビニがなかったら」って、少し離れて過ごしてみるのも、おもしろいかも…と思ってる。