アサリの島流し 77日目 - 自由の集い
昔から地図を見るのが好きだった私は一時「人跡未踏」という言葉にハマって、やたらwikiサーフィンをしていた時期がある。
もしもそこで暮らすなら?
そのサバイバルや生活の不自由を細部にわたって妄想するのが大変楽しかった。
だからたまにある、船でしか来れない離島ならではの不自由についても、相当な覚悟をして来ていた。
が。
最近まったく不自由を感じない…。
むしろ感じなさすぎて、お客さんから何か不自由について聞かれて困るくらい、不自由を感じない…。
コンビニがなく店は18時で閉まるし休みが多いこと。自販機の謎の種類。パンやケーキが日によって売っていないこと。飲食店は5・6軒しかないこと。郵便局の窓口でしかお金を預けたり引き出したりできないこと。物は入港日にすべて届くこと。
それらすべてが1ミリも不自由と思わなくなった。慣れとはすごい。
というか、最初からそれで良かった…気さえしている。
本来、これで充分よかった。
不自由を感じなくなってから、余裕ができたのかすっかり慣れたのか、最近は友達も出来たし、うっかり毎夜飲んでる気がする。
とにかくサークル活動や集まりも多いし、仲良くなれた友達と集まる輪は、重なったり重ならなかったりしながら幾重にもある。
人口に対して考えられるよりずっと、そういう輪が多い。
輪ごとの連絡は、やはりLINEとかSNSでやりとりしたりどこでも内地と同じなのだが、圧倒的に多いのは実際に人に会って話す時間。
もっといえば、待ち合わせや通信での連絡がないのに集まることもある。
満月のカカ、天気がいい土日のサンセット、澄んだ夜の星空観測、小さな岸壁やがじゅまるの下、祭りの夜…。
気がつくと自然に集まってる。
誰がいるから、っていうよりそれを好きで1人でも楽しみたい、って人が気がつけば集まってる。
それは、ほんとに自然にそれぞれ無理しないで、集っているのだ。
脇浜の隅ではネムリブカがよく集って昼寝したり、波打ち際に海鳥が集まったりしているのと、この島の集まりはあまり差異がない。
これは、ほんとに奇跡的なことなんだと思う。
ヒトは本来、こういう生き物なのだろうな。
だいぶ私も、ヒトらしくなりつつあります。
↑すっかり海のおじさんにしか見えない昼休みの著者近影