アサリの島流し 140・141日目 - 母島返還祭の夜
素敵な思い出や景色に出会うと、素敵な歌、絵、作品が作れるよ、などと言う。
が、そんなことはない、と今は思う。
そういうことがあり過ぎると、そこにいる間は本当に手が止まる。
一瞬一瞬が大きくなり目が離せなくなって、この1ヶ月ほど、私はぴったり筆が止まる様にブログを書いてなかった。
ひとまず中々追いつきそうにないが、順を追ってたどっていこう。
もうかなり経つけれど、母島で一番のお祭りのことから。
6月に入るとみんなそわそわ慌ただしくなる。
あちこち昼夜集まって練習してたり、体力作りに励んでたり…一様に口にするのは「ヘンカンサイの準備」だった。
6/25・26の二日間に行われたのは、1968年6月に戦後アメリカ領となっていた小笠原が日本に返還された日を祝う祭、として毎年この時期にある返還祭だ。
父島でもやっていて、母島独自では返還の5年後から始まり、今年で43回目を迎えた。
こちらに来てから半年。いろいろな人に知り合ったり話を聞いたり、山谷の地名も頭に入ってきて、この戦争から返還の話も少しずつ知る様になった。
…ということにも折々触れるのですが、この祭りは…大人から子供まで飲めや踊れや歌え…のまさに島中の人がはしゃぎます。
飲んだり、踊ったり歌ったり、飲んだり。
ひたすら飲んだ記憶が強い…。
最近、参加したりしてた青年会の出し物で焼きそばやビール売ったり、ダンスしたり、うちの職場の先輩が島に来て作ったダンス部と初めて演奏でコラボするバンドやったりもしました。
南洋踊りやフラ、といったこの島の文化や、手話合唱から役場の人やお巡りさんのカラオケまで…様々に発表され、みんな知り合いの小さな島では常に和やかで楽しかった。
中でも本当に小笠原ならではでユニークだなあと思ったのは盆踊り、からの望郷歌。
輪の中に集まって、ヨイっ、ていうのがもはや、うぇーいっっ!っていうテンション。
一般には大人になって地域の活動から離れがちな年頃になると、盆踊りは割と敬遠されがちになるのだが…
ここでは皆こぞって踊りたがる、非常にテンション高い盆踊りでした。
そこからの、島のお祭りといえば…いや飲み会でも締めによくやる…望郷歌の合唱!
正確には小笠原の歌で、1〜6番まであるのですが、ここでは母島のことを歌った歌詞の4〜6番を2回繰り返します。(特に、何故かやや下ネタに聞こえがちな6番については力が異様にこもります 笑)
一度参加すると忘れられず、コレが歌いたくて!とその時間だけは何としてもやってくる人もいるほぼ全員参加の母島名物。
この望郷歌の模様は観光協会さんのFBページに動画で載ってるのでこちらでご覧ください(;^_^A
小笠原望郷歌
真っ暗な浜、天の川に上がる花火はとても綺麗だった。
けど周り一面の星が花火と同じくらい明るくて、花火が消えてもずっと打ち上がってるみたいだった。
もちろん、素敵すぎて写真が一枚もない。
というか、返還祭の写真はあとで人からもらう以外、自分盆踊りしか撮ってないし…(ずっと飲んでた)。
夏祭りはどこの世界でも素敵だけど、この島のは格別でした。