アサリの島流し 340日目 - さよなら母島
”僕らの住むこの世界では旅に出る理由があって、誰も皆手を振ってはしばし別れる”
12月頃から脇浜で1人ギター稽古しにいく時、この歌をよく歌っていた。
その度にグッと何かを飲み込んだ。
お別れライブが終わって、やっと腹を決めたようにようやく荷造りに取り掛かる。
あと少しと思えない朝と夜がやってくる。
会う度に友達が
「これでお別れかもしれない」
と口に出すようになった。私もそうかもしれないと思いながら
「まあ船に乗るまではいるからどっかで会うかもね、またね!」
ばかり繰り返す。
出発の日の朝、秋にのりちゃんを見送った様に朝日を見に連れてってくれた。
また平日でごめんよ。朝日が昇るのを見届けると、友達達は仕事へ向かった。
ギリギリまでかかって書けるだけの手紙を書いた。書き始めたらあの人、この人、家族をひとつにして60くらい書いたけど、書ききらなかった人もいた。
荷物をまとめて部屋の掃除を終えると、みさちゃんから借りていたヤンキーみたいな音の原付で手紙を配達してまわる。
学校の先生には特に友達が多かったから、仕事中なので入口の事務、松土氏に預けることにした。
すると
「いま授業ない人もいるから…」
声をかけたらたくさん出てきてくれた。
まっすーは教室からクラスの子供達も一緒に。
下駄箱のところにワラワラいる顔を見て、ああ、もう帰るのか…?とまた何かを飲み込んだ。
最後のランチを食べに職場だったルシエルへ。船酔したら困るからうどんにして!とみさちゃんに我儘を言った。
ゆっくり食べてお土産を買ってもまだなんか帰る気がしない。
時間はいつもの様に過ぎて、出港の時間はすぐやってきた。あまり乗る人のいないはずな入港翌日だが…船客待合所には私より先に来てくれてた人、仕事を抜け出して来てくれた人…たくさんの顔、友達の顔。
それでもまだ何かを飲み込んで私は笑ってた。ちょっと出かけるだけの様な気がしてた。
そうこうしていたら…その時が来て。はは丸の代わりに運行してるゆり丸に乗り込むため大岸を歩く。
その時、どこからともなく。
太鼓の音が。
初めて聞いた時と同じ、土を跳ねる様な小笠原太鼓のビートが響いてきた。
大岸にはみんな仕事のはずの太鼓の先輩達がずらっといて、見送り太鼓を打ち鳴らしてくれてる。
飲み込みきれなかったものが目からぽろぽろ突然溢れ出した。
ずっと一緒に太鼓やってた同い年の友達みどりちゃんに促されて、私はとても情けない顔で太鼓を叩く。
なんとか終わりを決め、船に乗った。
同じ釜の飯で過ごしてきた同僚達がすぐ近くで手を振ってて、一番よく一緒に飲んでたりさはぐしゃぐしゃ泣いてる。
しっかりしなさい、と思いながら私も一度溢れ出したものは止まらない。
船は動き出した。
汽笛の音を聞きながら、頭が花壇の様になるくらい、何本もらったかわからないくらいのレイをひとつづつ海に返す。
浜に流れ着くと、また帰って来れるんだって。こんだけあったらひとつは絶対流れ着くよ。だから。
必ず帰って来れる。
岸壁の端までみんな、追いかけてくれて、島では最も気温が下がるこの寒い時期に…飛び込んで手を振る姿が見えた。
島は瞬く間に小さくなった。
もう離れるなんて信じられない。
明日またみんなにおはようを言わないなんて。
島影が小さくなりデッキからようやく中に入ると、たまたま出張で父島に行く為一緒の船に乗ったモコちゃんと向井さんが、船の中で荷物と場所を取っててくれた。
ちょっと眠ろうかね。
そう言ってそれから父島へ着くまで2時間。
私は身体中の水分がカラカラになるんじゃないかってほど、ずっと泣いていた。
さよなら、またね、母島。