アサリの島流し紀行

東京・高円寺から貯金をするために小笠原諸島へ住み込みバイトに行ったバンドマンの日記。都会の超夜型ライブハウスマンが1000kmはなれた船でしかいけない島で人間に戻っていくドキュメントでもあります。Twitter→@asari309 asari official WEB→http://asariweb.net/

アサリの島流し 350+350日目 - 母になる島

時々、夢の中で私は船に乗っている。
夢の中だから決まっておかしな話になっているけど、いつも朝になったら父島に着くってなっているからあの船に乗っているんだと思う。

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あれから一度だけその船に本当に乗った。
それは一航海でお祭りでとても慌ただしくて、本当に逢いたかった人たちと過ごせた島の時間はほんのわずかで、私はあれも、まるでいつもの夢だったなって思っている。ただ、ひとりでもふたりでも私のバンドの仲間を島に連れて行ってあの景色を見せたかった、という目が覚めている時に見ていた夢は、本当になった。

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島から戻ってからの一年はまさに激動だった。
そうなったのも、いつの間にか本当に、私は何から何まで変わってしまっていたからだ。

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そのことを誰かにうまく説明することは、とても難しくて中々できなかった。
例えて言うなら、私の中の青色が島に行くまで当たり前に知っていた色と違ってしまった。だから帰ってからと言うもの、どの青を見ても、まるで青くないような気がした。


どの音を聞いても作り物のような音だった。


どの人に会っても、島の人みたいに本当の顔で笑わないんじゃないかと思った。

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島から引き上げる時、私は次にやるいろんなことを考えていたし、島に行く前の自分がしていたことからの発展だったり、新しい仕事だったり、毎日走り続けることばかり考えていた。
でも抗い難い違和感は日に日に強くなるし、私は「走り続ける」のはやみくもに「走っているようにする」のと違うって、わかってなかった。


そう気づいてから少しの間、文字通り「手も足も止め」て考えた。好きにして過ごしてみた。

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すぐにはわからなくて焦った。焦ってバタバタしていた時、一番古い一番なんて事ない話のできる友達に相談した。なんて事ない友達だから、いつも通り特に立派な答えなんかまったく見つからなかった。


だけどそのなんて事ない友達は、たったひとり、島に行く前と同じ顔で笑った。

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たったそれだけのことだったけれど、私にはたったそれだけで良かった。

答えなんてない答えは、形なく私の腑に落ちた。


そしておまけに、いつの間にかその友達が、矢のような速さで転がって本当の家族になった。


島で大活躍したバリカンをくれた高円寺の床屋のあけみさんが、引き上げてから再び散髪してもらった時
「あらあら、良縁は早いものよ」
と言っていた。

 


そんなこんなで瞬く間に妻になり
母島から引き上げて350日(くらい経った年末年始の頃)
どうやら私は、母になったことがわかった。

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何かの折、小笠原の観光に関わるお仕事の方と一緒に飲んだ時、母島の元職場宿で働く女の子はその後良く嫁ぐ、なんてのを笑いながら話していたことがあった。家事修行に最適な宿業だし確かにそういう先輩も多く
「そりゃあ婚活中の若い女子へPRできますよね!」
なんて笑いながら話していたのを思い出す。
私も一緒になって笑っていた覚えがあるが、自分も見事に体現してしまった。


母になる島、母島。

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小笠原諸島は島に家族の名前がついている。
父島、母島、兄島、弟島、妹島…等々


東京から1000km南の太平洋のど真ん中にポツリと浮かぶ家族の島は、名前に負けず実際に、子供が多くて家族がとても家族らしく暮らしている島だ。
ここには忘れかけた、いや、もう今の世の中じゃ中々出会えなくなってしまった家族の姿、人間のそのもののような日々の暮らしがある。

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世界遺産はきっと自然だけではない。
日本とアメリカを行き来し戦争にかき混ぜられながらも、皆で様々なルーツの文化をガラパゴスの様な場所に持ち寄った。その歴史の結果、他の場所にはない忘れかけていた人間の姿がまた生まれた島なのだ。

 


そんな島も今年は日本への返還50年。
返還祭も記念のお祭りもきっと素晴らしいだろうし、私も行けたら本当に良かったのだが。


この島にとって記念すべき年に、島のおかげでもらった人生最大の仕事、出産を無事に果たすことに専念したいと思う。


今年小笠原へ行ける人がいたら是非、私の代わりに目に焼き付けて、教えてください。
その風を身体に巻きつけてお土産にください。


時々「島に来る前にブログを読みました」って人がいてとても嬉しかったのを覚えています。
もしこれを読んで一歩踏み出した人がいたらまたすごく嬉しいです。(婚活中の女子もぜひ 笑)

 

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すべての色が変わるのは、とても久しぶりの事だけど初めてではなかった。
14歳の時、ソフィーの世界を読んだ時の自分の中の革命を思い出した。私はもう一度、14歳をはじめたようだった。

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たった一人で島に行ってから350+350日。
今はひとりじゃなくなって、そのまた+350日には二人でもなく三人だ。


小笠原という島はやっぱり何かが変わる。

そして本当に家族が増える。
三人になった私は、さあ、これからどんなことをしようか。