アサリの島流し紀行

東京・高円寺から貯金をするために小笠原諸島へ住み込みバイトに行ったバンドマンの日記。都会の超夜型ライブハウスマンが1000kmはなれた船でしかいけない島で人間に戻っていくドキュメントでもあります。Twitter→@asari309 asari official WEB→http://asariweb.net/

アサリの島流し 239日目 - 必要なものと不必要なもの

この島に来てまもなく9か月目に突入する。

私の携帯は息を引き取りましたが、危篤のときにバックアップを何とか取れたので少しづつ9月の写真を交えながら、今日は最近ちょっと考えたことを書いてみます。

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最初は素晴らしい景色や珍しいもので目を白黒するのに忙しかった私も、だんだん周りにあることが自然の出来事になってきて、あまり驚きすぎたりしなくなった。

周りのものに目が慣れてくると、ここに暮らす人間の社会にも目がいくようになってきた。島ならでは、ということ、また人が暮らす世界のあらゆる場所と同様にあるコミュニティの仕組。

 

この島には「国を行ったり来たりした歴史」と「ひと際特別な場所にある」という変わった背景が2つある。それが、日本の僻地と呼ばれる田舎とか他の島と比べてもちょっと珍しい構成の、社会を作っているみたいだ。

 

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この島で一番「長い」のはたぶん、昔からの島民、戦前を知っている人だ。

もっとも、小笠原諸島発見の歴史あたりからひも解いてしまえば、その「長い」が指し示す意味は言葉を使う人に依存してしまうだろうけど。

第二次世界大戦ではこの島も戦争の現場となった。その為一般の島民は内地へ疎開したらしい。そこからアメリカの土地になり、返還されて日本に戻ってくる。

この経緯をリアルタイムに目撃している人が一番「長い」島民と思われる。

 

その次に、返還された後に移住した人たちがそれぞれの時とともに続く。まだあまり知られていなくて、今よりずっと船もスケジュールが不安定で時間がかかった時から、今に至るまで、移住する人はすこしづつ増えた。それとともに、生活のいろんなものも整備されて、今じゃ私なんかは特に不自由を感じないくらいに必要なものがそろった。

この島にいろんな形で人が暮らせば、ここで生まれ育った(正確には出産だけは内地だったかもしれないけど)子供たちも当然誕生する。「島っ子」と呼ばれるここが故郷である人も、普通に暮らせるようになった返還から50年近くたって、つまり50歳くらいまでいることになる。

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そして生活環境が整うと、そのための仕事でやってくる人がいる。私なんかは観光業で短い期間だけれど、公務員であったり、土木であったり、医療や福祉であったり、そういう人たちや、島の仕事に就いてみたいと思った人がその為に引っ越してくる。

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さて、ここまで書いたのは住民票の所在地如何はともかく、ここに居住している島民。

その他に、島にはたくさんのお客さんが訪れる。

まずかなり頻繁にそして定期的に、仕事のためにやってきて宿などで長期滞在する人々。電気、通信、建築、あとは研究など…その多くが島の暮らしに必要だけど島には会社がない仕事や、この島でしかできない特別な調査を目的としている。

(7月に仲良くなって一緒にライブをやったアーボマンも仕事のために1か月ほど滞在していた林業の専門家だった。その時の記事が→

アサリの島流し 161日目 - アーボマンと島っ娘ライブ - アサリの島流し紀行

)

 

そして、島へやってくる旅人。毎年決まってやってくる人、人生で一度は来たかったという初めての人、島民に知り合いがいて訪ねてくる人、学校やサークルで来る人、つり、海遊び、ダイビング、山登り、ただのんびり…目的は様々な観光のお客さんだ。

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サラダボウルの様に、これだけのいろんな人たちがこの島には「いる」。

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そしていろんな人たちが「この島で欠かせないもの」「魅力的だと思うもの」「大事なもの」を十人十色で考えている。

 

例えば仕事のお客さんは「インターネットの高速回線が必要」と思う。

でも観光のお客さんの中には「この離れた島でのバカンス中は現実と切り離して楽しみたい…」と、島に到着してすぐに携帯のスイッチをオフにする人もいる。

(って、切らなくても集落以外は圏外だから、観光中だと電波外のことが多い。)

 

島の文化活動では「テレビやインターネットがなかった方がみんな外へ出るから集まりがよかった」と思う。

でも今では多くの島民がネット注文で物を調達し、天気予報で台風情報を追いかけ、最新の音楽でパーティしたりする。ネットがない暮らしはちょっと想像しがたい。

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週一往復の船しか交通手段がないこの島では、重病の人はなかなか暮らしていけないし、生活や物の不便はとても大きい。

お客さんにとっても、ここで休暇を過ごすには長い休みが必要になるから気軽に来ることができない。

飛行場があったら今よりずっといいのに、と思う人もいる。

けれど、世界中の飛行場はすべてそうだったように、それを作る場所には作る前の自然があって、この希少な場所ではそれを護るべきだと思う人もいる。 

船でしか来れないなんて、不便だからこそロマンティックだ、と思う人もいる。

飛行場を作るお金と、それで得られる利益の計算は果たして合うのだろうか、と思う人もいる。

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訪れる人から護るために公園や遺産にすべきだと思うこともあれば、多くの人に訪れてもらうために公園や遺産にすべきだ、と思うこともあっただろう。

 

昔から静かに暮らしてきた場所を多く変えるべきではないと思う人もいる。

安心して幸福に暮らすために必要なことを変えるべきだと思う人もいる。

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様々なことで「島だからこそ」と「島であっても」がせめぎあう。

そのすべてに今日の正しさがあって、そのすべては明日にそぐわないかもしれない。

 

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この場所では足りなくてもよいけどあったらちょっといい、というような今足りていないものに出会うことが多い。

それを用意することがこの島に必要なのか不必要なのかを考えるとき、必ず相対している2つの正しさに出会う。

(と、これを書いている只中、社会の形がまるでDNAのような2重螺旋構造!まさに生命っていう!ね!ね!という科学変態的ポイントで興奮して脱線しかけてしまいました。)

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この島での暮らしは、とてもコンパクトに凝縮して、社会の様々な側面を見せてくれる。

少しだけ足りない、それは、いつも少しだけ大事なことに、振り向かせてくれているような気がしている。

 

 

と、差しあたって…明日ようやく届く携帯電話。

なくてもいいかなとも思ったけど、今現在私の暮らしにはやっぱり必要であった…かもしれない。

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