アサリの島流し 8・9日目 - 当たり前でないのが当たり前
アサリの島流し 6・7日目 - 海の真ん中の山
アサリの島流し 3~5日目 - シエスタのある1日
朝6時、目覚ましと同じくらいにふと目が覚めた。窓を開けるとまだ涼しくしゃんとした朝の空気に空がすこんと高く抜けている。鳥の声と山の気配に海の風。申し訳ないくらい素晴らしい朝が来ていて、夢と現の間をよろよろしながら支度をする。
ああ、今日からすっかり母島で暮らしてるのか。
朝6:50、エプロンをして建物裏手の自室から職場へ出勤する。7:30の朝食に合わせ手分けして支度をして、お客さんの朝食を終えると今度は我々の朝食。朝ドラを見ながらスタッフみんなで賄いを食べる。そこから夕食の仕込やルームメイク、お客さんの送迎、併設カフェの運営、などと手分けして午前の仕事をすすめる。
11:30を過ぎると、キリのいいところで午前の仕事は終了、と声がかかった。日によってまちまちだが、短くても14:30、長ければ16:00まである昼休み…というよりもはやシエスタがやってくる。またみんな揃って賄を食べて自由解散、になった。
私達がペンションのような仕事だからその業種はこういうスタイルなのか、と思いきや、この島は基本的に朝早く動き出して、午後、遅くても夕方には仕事を終える人が多い。私たちは夕食があったりお客さんが泊まっているから夜も仕事があるが、この島で飲食店以外に夜がつがつ働く人をあまり見かけない。
これが人間のデフォルトなのだろうが…ライブハウス漬けで超夜行性、朝まで飲んでまた昼から仕事を繰り返していた私には清らかすぎてうち震える。
なんという健康。太陽よありがとう。
というシエスタをもらって、まだどう過ごしていいのかつかみ切れていない私は、とりあえず集落中心に探索してみることにした。
店を出てすぐ、山の気配はここからきてる。
静沢の森というらしい。こんなに海のそばでも山の匂いがする。
まっすぐもう15秒歩くと一番近くの港があった。
ダイバー仕事の人がうろうろしている。港の機材みたいなのがころころ転がしてある。
通り沿いにはずっとハイビスカス咲いてた。
さっきの港から右に曲がって1分くらい奥に進むとダイビングショップの先にウミガメ産卵を保護する浜があった。
水がきれいすぎてくらくらとする。ってこの島ではどこでもそうなのだが…。
ウミガメ浜の先は脇浜なぎさ公園。
一番近いからその後ギター弾きに行ったりヨガしにいったり、星を見に行ったり犬の散歩したりなにかと勝手よく通うことになった。泳げる季節になったらシエスタは水着だな。
公園の奥の方から階段登るだけで鮫ヶ崎にたどりついた。
ザトウクジラのスポットとは聞いていたが、展望台があってほんとに夕日とクジラが見放題くらい見える。
大体のお客さんは滞在中、ここに何度も訪れているらしい。私と同じ船で来たお客さんにばったり出会って教えてもらった。
私の働く場所は母島の人が住む集落の中でも一番西の端。職場から公園と逆方向の左に歩くと船が着く母島の玄関、船客待合所。
といってもこちらも5分かからないくらいだが。
ここの喫煙所は私の一番よくいくお気に入りの場所になった。ウッドデッキでヨガもできるし自販機あるし、夜通りがかるといろんなサークルがかわるがわるここで練習をしている。
港の奥をさらに進むと元地集落。
この島の超中心地。3軒の商店、郵便局、交番、役所、保育園、小中学校、福祉施設すべてここにある。
ロース記念館。
郷土資料館的な場所。散歩中よくトイレを拝借する。静かで心地の良い小さな建物。
これらの場所ぜんぶ歩いても1時間以内で収まってしまう小さな集落。
ということでシエスタ3日分でこれらを十分くまなくめぐって遊んで探検しつくしてしまった…。なんせ一日3・4時間は真昼に暇なのだから。
私いったい何しているのだろう…。こんな暮らししてていいのか?なんか申し訳ないくらいで、もっと働かないと悪いんじゃないか?シエスタ散歩中に頭の中で何度も沸き起こった。けれど、この島の人は誰一人そんなこと思っちゃいないし、かといって働いていないわけじゃない。必要十分に働いて、ごく普通に暮らしている。
私は東京で、消費することに追いかけられ馬車馬のように働いていた。働いて生産が上回れば馬車もちょっとはゆとりがでるだろうと。
けれどそいつは異常な消費にやられちゃっていただけで、使う先がないここではひどく裕福というわけではなくても、それなりの時間働いてそれでみんな十分ゆっくり暮らしていけてる。
それによく考えたらシエスタ挟んでも、私きっちり8時間以上働いているじゃないか…いったい東京で何時間働いてたのか…たぶん…やっぱ異常に働いてたような…。
ごにょごにょと考えるくらいなら日光浴でもしたほうがいいなと思って、結局太陽の下でちょっと昼寝して仕事に戻った。
ここにいる間にきっと、シエスタのすばらしき使い手になろう。
アサリの島流し 2日目 - 海のむこうの普通の街
(おがさわら丸25時間の旅 後編)
夢を見ていたから、すっかり家で寝てる気分だった。
目を覚ましてからしばらくぼーっとして、やっと船がものすごく揺れている事に気づいた。立ち上がってみるとシーソーの真ん中のあたりを行ったり来たりして立っているみたいで、思わず中腰になった。
真夜中から朝にかけてどれくらい進んだろう。ただ今、太平洋の真っただ中。眠りこけた0時頃にたまに地震の震源でくらいしか聞かない鳥島を通過したらしい。船のディスプレイで見る限り、それ以後まったく島がない。
夜明けが見たくて甲板へ向かうが、寝る前と比べて俄然揺れている。太陽、地球、そして第3の神はアネロン酔い止め薬であった。こいつのおかげで結局吐き気に悩むことはなかった。しかしそれにしたって揺れている。
何とかよろけながらも開放されたばかりの甲板の扉へ向かうと、外は雨が上がったばかりのようだ。
けれど外はなんとなく、冬らしくないぬるい温度になっている。今頃は自宅あたりだったら0度近くまで下がっているだろうに。
盛大な海はぐねぐねと呼吸して生きている巨大アメーバのようだ。
船は海面の山脈を数メートル単位で登ったり降りたり、進んでいるのか波にもまれているのかわからない感じだ。こんなに巨大なものを人間はいったりっきたりしているのか…と放心状態になる。
そんな荒っぽい背中の上で、壮大な朝が来た。
♪いつまでが昨日なのか いつからが今日なのか
みたいな歌を合唱で歌ったのを思い出した。でもわかることは、人が決めた0時ではなく、自然の中でこの太陽が線をひいていくんだろうってこと。
太陽はおはようよりはっきりと朝をもたらした。そういえば、船尾から見える船が泡立てた水が、えらくきれいなブルーになっている。
まだまだ果てしない海しか見えないが、小笠原の島々がある場所へ近づいているのかもしれない。
寝起きで興奮して腹が減ったので、昨夜買っておいたパンを朝食にもさもさ食べた。と、パンを取りに行ったレディースルームの我が船室は、あまりの揺れに目が覚めても起き上がれない人続出の野戦病院状態だったが…。
9時頃になって久々の島影が見えるという放送が入ってもう一度甲板へ。聟島列島だ。
人々が一斉に甲板へ。無理もない。だってあんなに海ばっかだし、暗かったし、揺れてるし、みんな陸地を渇望してどことなく不安だったのだろう…。人間ってつくづく陸生生物だ。
聟島列島を通過するあたりから、甲板で父島の入港までビジターセンターのガイドさんによる自然解説が行われた。ホエールウォッチングのレクチャーもあって、ほら、11時の方向!とか言われて甲板のみんなで右往左往しながら楽しんだ。
そしてようやく待ちに待った父島到着。携帯の電波も約20時間ぶりに復活。
まだ乗り継ぎがある身では、父島で目的地の人を多少うらやましく思う。
(もうははじま丸が待ってるし…)
いよいよ港に降りて久々の陸地。暑い。めっちゃ暑い…。思ったより暑い…。2月ですよ?と言いたいが、この島の人はみんなそれを忘れているようだ。
降りてからようやく再会した先輩と、乗り継ぎの待ち時間30分の隙に弁当を買っとこう、ということで商店へ。が、もう売り切れてる…。しかも何もかも高い。特に乳製品は倍以上する。ここは離島だ―という実感がいきなり直撃する。
お弁当がないので、仕方なしに長期保存パンとプリッツとサラミを買って港へ戻ると、用意のいいツアーの人々が港周りでわんさかお弁当を食べている。…いいなぁ。
サラミをやけくそにかじっていると、先輩の元へ続々と知り合いと思しき人から声がかかる。これからうちの宿へ泊りに来る常連さん、元スタッフで今は父島に寄り道して遊んでいるらしい人、などなどそこかしこに。ほんとに小さなコミュニティでみんな顔見知りなんだなぁと感心する。
さて、ははじま丸からの2時間以降は写真がありません。25時間乗った後で平気だろうと誰もが油断した後の強烈なカウンターパンチで、慣れた人もぐったりする激揺れ。天気がいいのに…。この船に乗っているほとんどの人が座ることもできず死体のように運ばれていきました…。(私は酔わなかったものの、揺れで立ちあがれなかった)
母島の港へは父島ほどの感動をしている場合もなくぐったり到着。そしてすぐさま仕事へ入るらしい。
小さくてこじんまりした港は、のどかな田舎の単線の駅みたいだ。各宿の迎えも父島ほど派手でなく、犬を連れてきてたり、家族総出だったり、なんか宿というより親戚のお迎えみたいな風情だ。
私のこれから働く宿は港から5分もかからないけど、すぐ裏手は山という坂の途中にあった。六甲山あたりみたいな街並みだ。といっても全長100メートルくらいの地域だが…。
結局大忙しの入港日ともあって、ぐらぐらと陸揺れする中、荷物も放り投げてエプロンして早速仕事。夜の20時くらいに仕事を終えた時もまだ三半規管が揺れていた。
夜はちょっと肌寒い。けれどなんか不思議な気分になるほど、着いてすぐにここでの私の新しい日常が始まった。
静かな夜、空が澄んでいる。すごく静かだけど、慎ましく明かりが窓に灯る。 お客さんがから揚げと味噌汁食べてる。生ビールのオーダーが入る。私は皿を洗っている。
太平洋を1000キロ渡ったはずなのだが、あの地図のゴマ粒より小さい日本列島からはぐれたような場所にある孤島のはずなのだが、この町は非常に普通の田舎の町である。
(現在地表示が彼方)
ここで暮らすんかー。おお。
感慨ひとしおであるが、それより陸酔いのまま仕事して死にそうに眠い。
ばたんと布団に倒れると、私の母島最初の夜はあっという間に過ぎた。