アサリの島流し 8・9日目 - 当たり前でないのが当たり前
島に来る半年ほど前からよく考えていたことがある。私はライブハウスの人だしバンドマンだけど、音楽をいろんな人に聞かせたいと思う、そのいろんなお客さんは、バンドマンじゃないしライブハウスの人でもない。だから、私の普通はもしかしたらお客さんの普通でないかもということを気をつけなくてはならない。
母島には、来たばかりの私にはとてもびっくりするような普通がたくさんある。
道端に錨がおいてあること。
ヤドカリが渡っているかもしれないから車の運転に気をつけること。
3月までの工事期間だけ島に唯一の信号があること。
出港日にはカカを叩き鯉のぼりを振ってお見送りすること。
散歩道に戦争中の弾薬庫があること。
散髪は自分ですること。
誰かとすれ違ったら挨拶すること。
小さな子供がたくさんいて、育てている家族がたくさんいる。子供はみんなの親戚みたいだということ。
母島にはずっと島で暮らしている家系とかそういう人を探す方が難しいくらい、たくさんいろんなとこから移住している人もいる。そういう人を区別なく受け入れる。
商店は三軒だけで、遠くから運ぶので値段も高い。だから使わない分は買わない。特別にいるものは通販だし、1週間以上かかるから計画的に頼んでおくこと。
病院は診療所しかないから、ある程度以上の医療が必要な時は定期的に内地へ行く。島の人は紹介しあったりして、よく行く歯医者や大学病院があるらしいこと。
この島では、当たり前でない事を受け入れることが、当たり前なのだ。
私が今まで知っていた「当たり前」には、たくさんの人や社会が絡み合っていたので、その場所で自分の評価を正しくする為とか、そんなことには置かれてあった気がする。
この島の当たり前はそんなこと言ってる場合でなく、ただ「ここで生きる為に必要なこと」に置かれている。そして毎週たくさん内地から仕事や観光で人がくるから、島だけの当たり前だけでもやっていけないので、島の人は「受け入れる」ということが上手なのかもしれない。
そんなことに出会うたび、ちょっとは考えていたつもりでも固まっていただろう、私の当たり前を見直す。
もうすでにちょっとそんな話もあって、今までやっていた演奏やイベント企画も、たぶんここにいる間にすることになるだろうと思う。この島の中に演奏をする人はたくさんいるみたいだけど、たぶんライブハウスにずっといた感じのバンドマンは現在1人なので、私が当たり前を全部捨てるところから、どんな風に音楽がこの島の人と共にあるのか、観察するところからはじめるのかな。
春一番が吹いたニュースを、私らは夏の服装で朝ごはん食べながら見ていた。
なんとなくすでにちょっと、私の当たり前も変わってきているような感じがしてる。