アサリの島流し 54日目 - 島と友達
アサリの島流し 45日目 - もしもコンビニがなかったら
アサリの島流し 34日目 - 船待ライブ
アサリの島流し 31日目 - 白地図の色
アサリの島流し 28日目 - 森に吹く風
アサリの島流し 21日目 - 何して遊ぶ?
時間というものは人にも、いや生物やすべてに平等にある。だけどその長さは違うと思う。だって時間の長さは測り方、感じ方によるから。
人間の子どもと老人では違うし、寿命数か月の虫と10年のヤモリ、何千年の木なんかじゃそれぞれに違うだろう。都会や田舎、環境や習慣でも違うかもしれない。
相対性理論だってそりゃ時空のゆがみの話が出るくらいだから、時間は平等に「ある」けど長さは同じじゃない。
だいぶこの島の人が何して過ごしているかというのが少しだけわかってきたこの頃。
私は今まで何して毎日24時間過ごしてきたのだろうか?と最近の日々と照らし合わせたりもするようになった。ここに来る前は私、どんなときに何して遊んでた?
こちらに来てからもっぱら、散歩・運動・ギターな日々。
あとは絵を描いたり。
本は持ってきたけど、じっとしているとなんとなく外行きたくなって、外に行くと眺めがよくて周りばっか見てしまうため、はかどってません…。
来る前の自分を思い起こすとひたすら飲んでいた気もするし、なんというか、遊ぶっていうことがほとんどなかったような気もする。とにかく時間がとても短かかった。
すこしづつ時間の流れがスローダウンして、今はなんだか一日ってこんなあったけ?といくらいになっている。
そんなのんびりした時間の流れるこの島の子供にはさぞ無限の遊び時間があるだろう、と思いながら見てみると、小さな子供が遊ぶ場所第一位はやはり浜である。
公園デビューならぬ浜デビューな午前中は、お母さんがベビーカーやよちよち位の子から保育園くらいまで、手をひいてとても楽しそうに海を見ている。浜以外の陸では、道を歩きながらハイビスカスをつんだり木の実ややどかりの貝殻を拾ったり。
もうちょっと大きくなる小学生だと、大人がいなくても自転車でぷらっと来て浜辺でなんか拾ったりしてる。
あとは公園の遊具かがじゅまるの木に登ってる。友達同士でも一人でも登ったりする。
そのがじゅまるの下で昼下がりは中学生くらいの女の子がおしゃべりしてたりもする。ノートに何かを書いていたり。
あとはよく聞くのは釣り。
先日、島っ子(父・母島で育った人のこと)と飲み会で一緒に飲む機会があり聞いた話では、これが用語がわからないくらいかなりハイレベルにガンガンやるらしい。
それでもある程度の歳になると家で勉強したりゲームしたりも多いのか、だんだん外で見かけなくなる。
高校に上がれば地元の高校でも父島だし、私立とかいろいろやりたいことがあれば内地、大学やその先は普通の田舎生まれの人同様、東京大阪etc…に出たり…ぱったりとこの年頃からは内地からきたバイト以外は見なくなる。
さて私のような30代…コホン、この島の大人は何をして遊ぶのか?
島ではとにかくサークルがいっぱいある。島全体が高校かなんかか?というくらいいっぱい。フラ、南洋踊り、ダンスチームをやってるこもいるし、私が最近混ぜてもらってるのは小笠原太鼓というアグレッシブな即興和太鼓、そのメンバーとちょっと重なるけどカカという木をくりぬいた甲高い音のする打楽器、ウクレレ、バンド活動…スポーツは野球、サッカー、バスケ、バレー、ゲートボール、テニス、バドミントン…父島と対抗戦もあるらしくて、月に一回は何らかの大会が行われたり、週2・3回かなりハイレベルな練習をしているのをみかけたり、ほんと大人の青春がすさまじい。
先日私も誘ってもらって、面白いイベントに参加した。脇浜で満月の夜に開催されるカカのセッションだ。
決まっている日程が「満月の夜」というのもまた何とも風情がある。
そして7時くらいになると街灯を落としてしまう脇浜の渚へ、リアカーで駐車場から大小さまざまなカカを芝生広場に放り投げる。
あとはただ黙々と月を愛でながら叩く。「いやぁこの木もいい音になってきたなぁ!」「こいつも素敵な音がする!」とか言いながら、とにかく何も決まりごとなく言葉数も少なく叩く!叩くのみ!
そのうちいいグルーヴを聴きつけてどこからか人がやってくる。子供も。
満月というのは街灯がなくても互いの顔はしっかりわかるくらい明るい。しかも海が反射していい感じにレフ板のようになってる。
とくに酒を飲むこともなく。ステージや客席も進行もないイベント。でもなんだろう、すっきりとした、そして終わった後は心を通わせたような何とも言えない暖かい親愛の情が参加者同士に沸きあがった。
私は今までイベントを作る立場にあったし、ほんと数えきれない遊びを考えつくして、遊びまくっていたと思った。しかし…この島の人たちはかなり上級者な遊び上手だった。
また、大人の遊びって言ったら飲み会っていうのは万国共通だけど、この島の呑み方はちょっと変わってる雰囲気があると思った。
島の人たちはお酒を飲むのも好きだけど、とてつもなく節度がある!というか、ある意味超都会的で非常にスタイリッシュな飲み方をする。
伝言ゲームのように連絡が届いた人々が(初対面とかもいきなり家飲みにいたりが普通)パッ!と集まり、誰でも特に派閥もなくワッ!盛り上がり、深い時間になる前にサーッ!とすっきり帰る、という感じ。その潔さたるや驚愕した。
まぁまだ仕事柄毎朝が早いのでディープに飲むことがないからもあるが、二日酔いとかその手の話題を聞いたのは、サークル対抗戦とかで父島に行った時の話くらい。(翌日帰りのははじま丸に乗る前から宿に泊まらず客船待合所で寝ている人が…とか 笑)
父島に行けばまだ飲み屋さんとかがたくさんあり違うのだろうけれど…。
私はと言えば、最近すっかり3杯飲んだらもう上等、な経済的さになってしまった。それでも和太鼓の練習とか行くと、焼酎(若い人があまり他に飲んでないが、おじ様たちが師匠の教えで練習でも飲んでるという)をちゃっかり分けてもらったりしちゃうのですが。
この島に来てもうすぐ1か月。私にはまだ遊びきれないくらいの時間がある。もちろん週に5日半くらいはガッツリ働いている…はずなのだが。島と言えば何にもないし、知り合いだって東京の街中みたいに無限に人間がいたりしない。出港中だし平日で交替休みだから一人で過ごす…なんて日今日みたいな日には、下手したら家の中のヤモリやその辺を飛ぶホトトギスとかカラスバトと話している方がずっと多い気もする。
でもなんだろう、ちょうど良い一人の時間っていうのは必ず必要な気がする。
色々なものが「これでつながれる」「ずっとつながっていられる」なんて謳うことばかりだった街に、ちょっとだけ違和感を感じてた。一人の時間というのが欲しかった。
実際やっと手にしてみたら、なんか今の世の中いろんなところ「人間中毒」みたいになっちゃってる空気があるんだろうな、と思った。中毒になったら味も何もわからなくなっちゃうけど、一人の時間ていうのは、さっきまでの人の温かさをもう一度味わったりするのに必要なんだ。そして自然を大切になんてよく言うけど、人以外のものを人といるみたいに触れたりすることができる時間ってのは、やっぱり自然と私マンツーでお話ししないといけないなと思った。
ポケットのスマートフォンも、ほかの人工の物もいったん視界の中からいなくなったとき、初めて空を見た気がしたし、風と遊べだ気がした。