アサリの島流し 193日目 - 乙女たちの音楽<嵐の父島その1>
「音楽」っていうものは「生きる」の中に含まれるものである。
その「生きる」がなんかリアルなこの島
だからか、専門的ステージもCDショップもないけれど、ここはほんとに音楽にあふれている。
昼休みにバンドをやっているわけでもなく年代や職業、既婚未婚隔てない普通の女達が、ぶらっと楽器持って公園に集まってセッションしてるくらいに。
(絵はむしろバンドみたいだ 笑)
今日の記事はそんな島のゆかいな(?)音楽好き乙女たちによる珍道中、文字通り荒波の3泊4日父島滞在のことを書きます。
私のSNSをご覧の方々はもうご存知かもしれない激情の日々…。
(長いです。頑張っておもしろく書こうと思うけど飽きさせちゃったらご容赦ください)
それはある晩
「父島で行われるJAMMIN行ってみたらいいよ!」
と先輩からおもしろそうな夏の野外音楽イベントのうわさを聞いた…
そこから幾晩か飲んでいるうちに…
(あまりに毎日同じような飲みを繰り返しているので詳しくは略…苦笑)
総勢6人女子での父島ツアー
& 私もJAMMINで父島のバンドに参加!
という進化を遂げていた。
ほんとにポンポン進化したから割愛しますが言えるのは、すごいね諸島内ネットワーク!笑
かくして30代女6人が浮かれてスキップするという恥態をみせるほどのテンションで集合した8/19、JAMMIN前日15:00。
前乗りで飲んじゃってー昼間にドルフィンスイムしてー祭りで飲んじゃってー
のハッピーな計画へ出発した。
高すぎるテンション。ハッピーすぎる我々。
そろそろいい年、人生の経験もやや積んできているはずな私たちは気づくべきだったかもしれない。
何か幸せすぎるおかしな予感に…(卑屈)
そう、その時はまだ知らなかった。
その3時間後に起こる阿鼻叫喚の悲劇を…。
内覧会以外で初めて乗ったピカピカの新造船ははじま丸は軽快に進み、17:00父島到着。
(トイレすらおしゃれなはは丸!)
原付調達したりメイクアップしたり実にご機嫌な皆々で、飲む前にロマンチックな夕暮れでも見ようと境浦へ。
きれいすぎる穏やかな海。誰もいない浜。
波音に合わせて踊るフラダンス。
なんて幸せなひと時!!!ああ、この後のビールも待ち遠しい!
と
その時だった。
ポンピンポンパン!
…!?
こちらはぼうさいおがさわら…台風9号による…のため…20日竹芝…21日父島二見港…は欠航…(ry
いやぁぁぁぁああああああ
響き渡る悲鳴。えっどういうこと?という一瞬の混乱。
とりあえず戻って相談し…
ぽつ…ぽつぽつ…ざぁああああああああ
(急に豪雨)
いやぁああああ!
まさに泣きっ面に蜂状態で濡れ鼠6匹宿へ帰還。
どうする?帰る?えっ、いつ!?明日!!!?でもJAMMINどうなんの!?
という悲痛な会議が行われた結果、私以外の5人は明日唯一の便、父島発7:30で母島へ戻ることに。
その時点でJAMMIN開催可否は不明ながら小雨欠航とのこと、私はぎりぎりまで判断を保留、中止連絡なければ延泊も覚悟で残留、という結論へ至る。
まだあんなに晴れてたのに…。
さっきまでメイクしておしゃれして飲みに行っちゃうよん!とはしゃぎまくっていたガールズの意気消沈ぶりはすさまじかった。
しかし結論が出たのなら、案ずるより飲むが易し。
梯子酒する気満々で全員によるウコン乾杯→ボニーナからスタート。
2軒目は自分の職場になじみの深い人も働いているチャーリーブラウン。
しこたま食べる、飲む!使う予定だったもの使えないから!
むしろ飲みに来たんだから!
と飲む!ひたすら!
そして〆に…
6月に閉まっていていけなかった念願のBar青灯台へ!
(その時のアレはこちら…アサリの島流し 136日目 - 父島へ行くの巻 - アサリの島流し紀行)
高円寺の諸先輩から「あそこには行った方がいい」と言われまくっていた理由が
うわさに名高かった「すさまじいエネルギーのマスター」だったのだが
すさまじかった!
(女優の柴田さんの顔真似です。似すぎてて何回も聞かれますがご本人じゃないのよ。)
なんというか…
ここ、杉並区だっけ?世田谷区?という地下感。
かかっている音楽は渋いブルース。
そういうことか、と一人ぽんぽん納得しつつ皆でゆったり…
というよりマスターに加え常連さん方もすごいエネルギーの御人ばかりで…
なんか激しく、慈悲深く、楽しい時間だった!
その後もリアル青灯台あたりで自販機のラーメン食べたり、なんだろう、青春みたいな話もしたなぁ!
明日の朝みんな帰っちゃうのはさみしいし、JAMMINがどうなるか心配だけど…
よい夜だったじゃないか!
そして延泊の私には追加してまたやってくる悲劇を知らないまま
(いや、うっすら頭をよぎりながら考えないようにしていた…)
嵐の前の父島の夜は更けていったのでした。
つづく
アサリの島流し 180日目 - 嵐が止むまで待って
島で暮らすということ。
ある日の昼下がりに見た景色。
こんな美しい場所で余生を過ごすなんて、まるで映画のような人生だと思う。
しかしこの小さい島は、8月の嵐から逃げることができない。
この南の海にぽつんと浮かぶ島は、もっと南で生まれる台風の、ちょうど通り道にある。
もとい、船でしか来れないということは、海が悪くなると見たまんまズバリ、孤島になる。
8月といえば…と前から聞いていたこの島の、特に宿業にとってひたすら運を天に任せるしかない…嵐の季節がやってきたらしい。
最初の台風は8/6〜7にかけて、きれいに船の航路の横を通り過ぎた。
その影響で8/7のおがさわら丸の欠航が決まった。
7日がちょうど入出港の日だったので、夏休みベストシーズンでいっぱいだったその日帰る予定のお客様が帰れなくなった。
そしてその日くる予定のお客様はキャンセル…。その日届く荷物も届かない。
おまけとしては、私の予定してた父島の野外イベントも延期に…。
昨年は三週間くらい食材が届かないこともあったらしいし、ここの仕事では必ず起きることとして聞いていたがやはり。
お客様に延泊やら父島へ移動やら、来れないからキャンセルの確認に追われる。
長い休みが必要な小笠原への旅は、かなり前から計画してる人ばかりだから来れない人の声はとても残念だ。
…が、案外なこともある。
反対に帰れなくなってしまって仕方なしここに残ることにした人達は…
なぜかテンションがちょっと上がっている 笑
子供の頃、確かに台風が起きると大人は慌てふためいているのに、子供はちょっとソワソワして楽しんでいた…それに近い。
お盆前だったし腹を括ってどうせならと延泊した人達は、結局島自体の天気があまり荒れなかったのもあり、逆に楽しんでいた。なんか微笑ましかった。
もちろん、たくさんの島民の生活にも影響が。私と同じく予定が飛んだり仕事が休みになった友達がたくさん!
仕方ないか!とオリンピックの開会式やバックトゥザフューチャーを見てだらだら飲みに行ったり、なんか不意にのんびり時間を過ごすのも意外と楽しんだ。
ちょっとしょんぼりしてたのは、その日から内地で夏休み予定だった島民…。せっかく冷蔵庫空っぽにしたのに…と買い出ししてた…。
幸い、嵐が通り過ぎて船の欠航以外に直接の被害といえば、岸壁で飲んでてたまたま吹いた突風でドンタコスが舞ったくらいだ。
と思ったら…
また来る…チャンスー(名前も何かね…)
18日、入出港…(白目)
来てしまったからには仕方ない。
嵐が止むまで待ってよう。
そんな台風以外にも、この島では逃げることができない嵐が心の中にやってくることがある。
それはこの島の人の多くが、たくさんの誰かやどこかとしばし別れ、遠く離れて暮らしているからだ。
それは嬉しいこと、そして悲しいことの報せ。
通信もSNSまで発達した今、ここにいるからといって何かの連絡や情報にタイムラグはない。それについて、遠くても話し合える。
けれどあまりに交通の僻地にある為、側に駆けつけて誰かの手を取り肩を叩き合うことが簡単にできない。いつもその報せに1人ぽつんと向かい合うことになる。
嵐が来ても逃げることができないということ。
嵐の夜を1人で越えるという試練は、遠くまで旅をしてやって来たこの島の誰もに起きるのだろう。きっと島の多くの人は、そういうことで1人空を見上げたことがあると思う。
だからかな。
ここで生きている人は、みんななんとなく荒波にも1人で立ち向かう強い心を持ってる人が多い気がする。
私も少しずつ強くなってるのだろうか。
アサリの島流し 167日目 - 海へ行くはずじゃなかった?
つい。私の大好きなアルバム名を記事タイトルに拝借してしまいました。この曲はこの島よりは昔住んでた鵠沼海岸あたりの海って感じするけどね。
ブログの更新がないと、何かあったんじゃ⁈と心配いただいてるらしい…という情報を最近血縁から聞いて、私の血液までMbps単位で流れはじめたか⁈と驚くこの頃です。
が、逆です。
更新が頻繁な時の方が心配にはふさわしい感じかもしれません。
とにもかくにも、気にかけていただいてる皆様、ありがとう。
とかなんとか言ってたら、もう8月になってしまった!のでようやく追いついていきたいと思います。(ので今回ちょっと長め!)
私のブログが遊び満載過ぎてほとんど触れてませんが、一応仕事があるので、ここのところはひたすら仕事してました。
(職場のアレより転載写真)
なんとなく、私が小さい頃に寮母さんの仕事してた祖母と似たようなことしてるような気がします。
さて、休みの日といえば大体海と夕日な母島。
ただ海に関しては息継ぎすると沈むタイプの金槌な私には中々ハードル高め…。
おおむね陸でギター弾いて待つ派でした。
それでもせっかくこの島にいるのだから…!
ここには泳ぎの上手い友達がたくさんいるので、私にもたくさん教えてくれる先生がいるわけです。
最近身近で流行ってるマーメイドフィンも使いこなす強者ばかり。
やっぱ泳げる様になりたい!
ということで。
まずは波がなく浅い近くの浜でレッスン!
ちょっと金槌ぽくないフォームになってきたかな?平泳ぎは楽しいことを30数年生きてきて最近初めて知りました。
そして先日、ついにシュノーケルスポットとしても人気な東港へ!初の最初から足がつかない深さ!
フィンの使い方が下手すぎたので教えてもらい…なんとか…
ぎこちなくも
泳げた!
つか友達はひょいひょい潜ってる…
取りあえず私は必死こいてフィンの色を追っかけながらの水中散歩。
エイやいろんな魚にも会えました。
うっとりと眠くなる様な水の中。
意外といけた?ので結構がしがし必死に泳いでました。
と、無知な私が泳ぎ初めて30分くらい経ち…ついに海の洗礼に…。
あっ、岩見えた!浜近いのかな?
と思った次の瞬間…
洗濯機の中に放り込まれた様な渦へ引き寄せられる。
顔を出してみると浜ら少し離れた岩たちでの周りが洗濯状態にじゃぶじゃぶ。
わわ、と思ってるうちにフィンが脱がされシュノーケルもくわえてられない流れが…
これはやばい!
と慌ててセンターの岩に避難。
地味に外洋と内側の緩い所の間だった様です。
しかし…周りがすごすぎてどうやって戻ったら…左はザバザバの波、前は渦潮、そして後ろ振り返ったらうねる太平洋がどかん。
(これはおが丸で撮った写真だけど、ほぼこんなイメージでした…。)
海…すげえ…敵わない…。
そして、海水…しょっぱい…。
と、命からがら放心する私の岩へ1人上がって冷静に右側へ降りる作戦を練ってくれて、ダイブしたら待ち構えたもう1人がキャッチしてなんとか連れ帰ってもらい無事帰還…。
岩に乗った拍子に怪我もしてたので、アスリートな友達が引っ張って連れ帰ってくれた。
惚けた私を抱えて泳ぐたくましい女子の横でひらひら浮きながら、人魚姫の王子様はこんな感じだったのね、とか思ってました。
深い海に吸い込まれそうな気持ち。
なんとか無事に陸へ帰れて、よかったーと一息ついたらなんか痛い足の裏。帰ったらもっと痛い…。
土踏まず5センチ9針の初縫合と相成りました…。
初診療所は局所麻酔でシャチホコのようにエビぞってましたが、看護師さんみんな優しかった。島の人はほとんど顔見知り…ってことは、病院もみんな顔見知り…なので、なんか変な感じでおもしろかった!足は痛かったけど…!
そしてケガ情報も回るの早い!苦笑
現在、順調に回復して今週抜糸です。
痛くて飲めなかったけど、最近は飲むのは平気になりました。歩くのはびっこだが。
そんなわけで最近は、引きこもりの一週間でした。
ブログの更新捗った!笑
今は…早く良くなってまた泳ぎ練習したい!
夏は待ってくれないからね!
母島は10月まで水着でいけるみたいだけど!
海の知らなかった素晴らしさと、自然の知らなかった圧倒的さと、友達の偉大さを学んだ濃い日々でした。
なんだかここにいると本当、初めてのことがたくさんある。
もうすぐ折り返しか。
私は自分の中に、そしてこの島に、どれだけ何か残していけるのだろうかね。
アサリの島流し 161日目 - アーボマンと島っ娘ライブ
この島には海と森がある。
私達にはBECKがいた。
アーティストのBECKでも、漫画のBECKでもない。犬のBECKだ。
それは今も私達の作ってきた音楽と私の手が描く線の上を、鼻水垂らしながら元気に走っている。
人の愛と人の手仕事には、そういう時間を超えていなくなってからも生き続ける丈夫な魂の様なものが宿るのかもしれない。
この人達が切った木や手がけた森にも。
6月のある日、いつもよく遊ぶ同級生ののりちゃんから昼休みドライブしようと誘われた。
その先の東港で会ったのが、無邪気に泳いだり釣りしてるおじさんとお兄さんの間くらいの人達(失礼)…それがアーボマン達だった。
関西出身が多く非常にノリのいい人達。その東港まで彼らが乗ってきたワゴンからちょろんとギタレレが顔を覗かせていた。
ちょっと弾かせてもらってもいいですか?!
ワゴンに寝っ転がって弾いた、これが後で知っていく、アーボマンの音楽に触れた最初だと思う。
母島の宿にいると、遊びに来る以外にも様々な仕事の人がやってくる。公務員はもちろん、取材の人、調査の研究者、土木工事の人…。
アーボマンはちょっと変わった木こりの集団だった。母島の森には、人が持ち込んだ外来種で生命力が強くどんどん増え固有種を脅かすと危惧されている、アカギという木がたくさんある。彼らは研究者の人がマークした切った方が良い木を切る仕事をしに来た木こりさんだ。
切ると簡単に言うけど、とてつもなく背が高くて、しかも混みいった急峻な場所に生えてたりする背の高い木…。一度倒木を実際に見たけど、言わずもがなとてつもなく重たいし、危険な仕事である。
島の人から、すごくオシャレな切り方するのよ!と高い評判を聞いたが、どんなのがオシャレなのか私には想像がつかない…が、アメリカ仕込みのテクニックらしい。
仕事はなんだか大変そうだけど、オフはとにかく陽気で仲良しな木こりチーム。
知り合ってからの滞在中、いつもユニークなオリジナルTシャツを着てしこたま飲みながら、夜な夜なギタレレウクレレをガシャガシャやってご機嫌な宴会を開いていたから、私も参加しないはずはない。
飲みに飲んで、時には音楽の話を深夜までYouTube片手に語ってたり、まるでライブハウスみたいな夜が続いた。
光るキノコ、グリーンぺぺを見に行ったり。
誕生日会で全員ケーキぶつけたり。
毎夜の即興セッション。
その彼らが去る前の日の夜が来たのは、ちょうど私が誘ってもらった2回目のライブイベントの日だった。
せっかくだからこの1か月のジャムの成果を…とコラボでの演奏もやった!
7/17に行われた「島っ娘ライブ」は、以前より出演が少ない分、各出演者が30分弱しっかりとステージして、見応えもたっぷり!居酒屋なので飲みごたえも!笑
私は、島のイベントではお馴染みのウクレレ弾き小西さんとも一緒に演奏!
すごく新鮮な曲をやれて楽しかった!
その日のセットリストはこちら
7.17島っ娘セットリスト
1.HOMETOWN
2.カリフォルニアの青い空(Uke.小西さん)
3.Riptide(Uke.小西さん)
4.栃東の取り組み見たか(アーボマン are Voじんさん ギタレレ平井さん ブルースハープ綱さん 三線のりちゃん クラップしみさん&隆朋君)
そして、翌日、アーボマン達は帰って行った。
正確には、翌日一部父島のカヌー大会に出場して!
そして彼らはまた秋に、相撲大会とライブ出演しに、そして森を守りに来ます(どっちがメインかわからなくなってきてる)
ほんとにピュアで楽しい音を知ってる木こりさん達。
私も秋に向けて、音楽鍛えとかないとな!
アサリの島流し 140・141日目 - 母島返還祭の夜
素敵な思い出や景色に出会うと、素敵な歌、絵、作品が作れるよ、などと言う。
が、そんなことはない、と今は思う。
そういうことがあり過ぎると、そこにいる間は本当に手が止まる。
一瞬一瞬が大きくなり目が離せなくなって、この1ヶ月ほど、私はぴったり筆が止まる様にブログを書いてなかった。
ひとまず中々追いつきそうにないが、順を追ってたどっていこう。
もうかなり経つけれど、母島で一番のお祭りのことから。
6月に入るとみんなそわそわ慌ただしくなる。
あちこち昼夜集まって練習してたり、体力作りに励んでたり…一様に口にするのは「ヘンカンサイの準備」だった。
6/25・26の二日間に行われたのは、1968年6月に戦後アメリカ領となっていた小笠原が日本に返還された日を祝う祭、として毎年この時期にある返還祭だ。
父島でもやっていて、母島独自では返還の5年後から始まり、今年で43回目を迎えた。
こちらに来てから半年。いろいろな人に知り合ったり話を聞いたり、山谷の地名も頭に入ってきて、この戦争から返還の話も少しずつ知る様になった。
…ということにも折々触れるのですが、この祭りは…大人から子供まで飲めや踊れや歌え…のまさに島中の人がはしゃぎます。
飲んだり、踊ったり歌ったり、飲んだり。
ひたすら飲んだ記憶が強い…。
最近、参加したりしてた青年会の出し物で焼きそばやビール売ったり、ダンスしたり、うちの職場の先輩が島に来て作ったダンス部と初めて演奏でコラボするバンドやったりもしました。
南洋踊りやフラ、といったこの島の文化や、手話合唱から役場の人やお巡りさんのカラオケまで…様々に発表され、みんな知り合いの小さな島では常に和やかで楽しかった。
中でも本当に小笠原ならではでユニークだなあと思ったのは盆踊り、からの望郷歌。
輪の中に集まって、ヨイっ、ていうのがもはや、うぇーいっっ!っていうテンション。
一般には大人になって地域の活動から離れがちな年頃になると、盆踊りは割と敬遠されがちになるのだが…
ここでは皆こぞって踊りたがる、非常にテンション高い盆踊りでした。
そこからの、島のお祭りといえば…いや飲み会でも締めによくやる…望郷歌の合唱!
正確には小笠原の歌で、1〜6番まであるのですが、ここでは母島のことを歌った歌詞の4〜6番を2回繰り返します。(特に、何故かやや下ネタに聞こえがちな6番については力が異様にこもります 笑)
一度参加すると忘れられず、コレが歌いたくて!とその時間だけは何としてもやってくる人もいるほぼ全員参加の母島名物。
この望郷歌の模様は観光協会さんのFBページに動画で載ってるのでこちらでご覧ください(;^_^A
小笠原望郷歌
真っ暗な浜、天の川に上がる花火はとても綺麗だった。
けど周り一面の星が花火と同じくらい明るくて、花火が消えてもずっと打ち上がってるみたいだった。
もちろん、素敵すぎて写真が一枚もない。
というか、返還祭の写真はあとで人からもらう以外、自分盆踊りしか撮ってないし…(ずっと飲んでた)。
夏祭りはどこの世界でも素敵だけど、この島のは格別でした。
アサリの島流し 137日目 - 父島へ行くの巻 その2
小笠原に来てから、たまに「もう実はすでに死んでるんじゃないか?」と思う。
だって、今までディスプレイや本で見たり、いろんな場所に行ったけど、こんなに尋常じゃなくきれいな景色だらけなんだもの。
もしかして、もう天国にいる?
父島ユースホステルの朝はレモン林からはじまる。
6:50になると目覚まし代わりに放送で柔らかい歌が1曲フルコーラスで流れた。
なんか遠い国のどこかの街みたいだなあ。
(まあ実際遠い街であるが)
庭にはパッションフルーツが植えてあった。
清々しい休日もあとすこし。おがさわら丸入港日で、午後には私も戻って仕事をせねば。
よくうちの職場の人は、母島にはパン屋がないので、父島に行くとお土産はパンする。
というわけで、帰る前に私もパンが買いたかったので、ユースのヘルパーさんに地図で見るとちょっと遠目だが今日やってるパン屋を教えてもらった。バイクあったら楽そうな距離。
どうせなら足を借りちゃって、昼間も少し父島を楽しんでいったらいいな!
母島での私の大事な相棒のフロント内部が、ある朝腐食劣化によりポキッと折れてた…号泣
という悲しみを乗り越え、レンタルバイクを借りた。
借りる際「いつも乗ってますか?」と聞かれて「母島で乗ってます」と答えたら
「母島と違って信号機ありますからね?車たくさんいますからね?赤は止まれ、青は進めですよ?あと鍵はイタズラされないように抜いて!」
…と、母島の取り扱いに苦笑しつつなんとか乗車。
しかし、確かに初めて普通の街の公道走った感はあった 笑
パン屋の開店には時間があったので、まずは来る前ガイドブックやらで一番名前を見ていたウェザーステーションへ。
丘を巻く様な道を上がると…
視野200度くらい海が!
さすが、そりゃあガイドブックに載るわ…
なんとなく勝手に、自然は母島の方がワイルドなイメージあったけど、父島も十分なすごさだった。
思わずぼーっとしていたらすっかり開店時間が迫ったので、地図を頼りにパン屋へ。
きっかりにシャッターが開いて気さくな店員さんがでてきたローカルベーカリー。
小さなお店ながら、かわいいパンだけでなく、雑貨屋、フリマも兼ねている。
私はお土産のパンの他に、古着のパーカーを買った。久々の買い物感。
無事目的も果たせたので、あとはバイクを有効活用するのみ!がんがん南に走ってみた。
いくつも集落、小さな浦があったけど、気になったので行ったのはコペペ浜。
静かな入口を抜けると。
この世のものとは思えない場所。
そうか…たぶん…私はすでに天国?
ど平日入港日AMもあって、誰もいないコペペ浜は完全な物語の中の天国だった。
ここだけでもうとてつもなく満足して、船待のある集落へ戻った。
父島の街の中には他にもいろいろな場所があった。
こちらはねこ待合所。
むかし暮らしていた人が飼っていたネコが飼い主を失い野生化して野猫になっている、っていうネコがたくさんいるらしい。
そのネコを保護して家族にしたい人に出会う待合所、らしいです。
こちらは母島にはないお弁当屋。
ロコモコ丼が美味しそうすぎて、昨夜に続きまたハンバーグ食べちゃった…。
楽しい時間は光のように速い。
あっという間に休日も終わろうとしている。
船に乗ると、一泊で宿にもなかなかいなかったのにユースのスタッフさんがほぼ総出で見送り来てくれた。
ありがとう!
夏の繁忙期が終わったら、また必ず父島へ行こうと思う。
その時まだ、BAR青灯台が…あることを切に願います…。
アサリの島流し 136日目 - 父島へ行くの巻
この頃はだいぶ島の生活に慣れたのか、出かけないでゆっくり過ごすことも出てきた。
けれど日々の折々、私の中の小さな箱の蓋が少し開いていて、過ぎていった遠い時間の景色が所々に現われる。それは今見える景色という新しい棚のあるべき場所へ、静かに自然にはまっていく、そんな風に感じることがあった。
まるで、こないだ知り合った人から聞いた、あの10日間の瞑想中みたいだなあ。
島にはどんな人がどうしてやってくるのか?
半径500mの世界に生活が大体収まっていて、小さくほんとに限られた人数しか暮らしていないこの島だが、誰かと話すことはとても幅広く楽しい。
いろんな縁が重なるとそれが理由になる。
そんなこんなで仕事の休みを都合してもらい、もう一つの島、父島へ遊びに行くことにした。
行きの船は同じ日に母島を離れる友達と一緒。
お見送りを改めて船から見ると、なんとも感慨深いものがある。
外から見てもやはりきれいな島に暮らしてるんだなあ。
前日、送別会で飲みすぎて二日酔いだったから、横になっていたら2時間ちょっとはあっという間だった。
久々に見た父島、こないだ寄港してたにっぽん丸が近くに泊まってた。
予約してた宿に荷物を置いて、早速散歩へ。
すげぇ都会!!
車線がある!信号機がある!
知らない人がたくさん歩いてる!!
カフェでおやつできる!噂のサメバーガー!
冷静に考えて数ヶ月前には思いもつかない理由でテンションが上がる。
すっかり母島が普通になってたから…。
夜になって、それぞれ休みで遊びに来た時仲良くなった友達に案内してもらいながら飲み歩いた。
オススメされて食べたら劇的に美味かったグリーンぺぺのハンバーグ。
お店にはたまたま母島の人がたくさんいてびっくりしたり和んだり。
青灯台は月がすごくきれいだった。
夜でもよく見える水の中を覗き込みながら飲む。
とびうお日時計のとこではエイを見ながら飲む。なんとゆったりした気持ちだろう。
小さな魚からネムリブカやクラゲもいて、小さな水族館みたいだった。
そこからトンネルの近道をフーフー歌いながら抜けて、今回父島へ来たひとつの目的だったBAR青灯台に案内してもらう。
高円寺の幾人か知っている人から「ここに行くといい! 」と勧められていた。が、建物老朽化でいつまで営業するかわからない、と聞いて、今行かなきゃ!と来た次第であります。
が
開いてなかった…orz
本物の青灯台のところでボンゴを叩く人達とセッションしながら飲んだのだけど、その人達が「店主飲みすぎたんじゃないかなー?笑」
と言ってた…。
実に高円寺らしい匂いが。ますます悔しい。
代わりではないが、この話をしてくれた人達とのセッションで、ハートランドをすごく素敵にジャムれたのだけど、私は歌ってて記録してないから心に留めておく。
結局BAR青灯台には行けなかったけど、母島で知り合えた友達のおかげで素敵な夜になった。
ありがとう!
…と?
夜が目的だった今回の父島なのだけど、翌朝にもワクワクするような朝が待ってた。
長くなったから次の記事にしよう。
いったんおやすみなさい!