アサリの島流し 260日目 - 形のないお土産<内地帰省編 下>
東京の街は何かが充ちている。
それは、ちょっとタイプは違うけど、森に似ている。無数の気配に囲まれている。
違うのは、森はなんとなく話しかけられるけど、街は話しかけづらい雰囲気、というところ。みんなすくっと立っている。
森のwelcomeな気配って…なんなんだろう。
今回の内地帰省では毎日いろいろ新鮮で楽しかったのだけど、一番記憶に残ったのは、帰りの船に乗って戻る前日の事だったかもしれない。
内地帰省編の最後はその日のことを書きます。
(場所柄、写真があまり撮れなかったから文字で頑張ります。)
帰省前の島から船に乗る少し前、何かで飲んだ帰り、太鼓の先輩に声をかけてもらった。
「ちょうどその時にいるなら、都心の老人ホームへ太鼓叩きに行かない?」
ほぼ毎日宿を動くのにバックパックがちょっと重かったのは、お土産がたくさんだったのと、太鼓のバチが入ってたからもある。
地下鉄の駅で先輩と待ち合わせて、坂道がちな都心ど真ん中の静かな街、ひっそり佇むホームへ向かった。
(島の人に駅待ち合わせとか長袖着てるとか、ごく普通のことも何か可笑しかった)
そこの利用者はデイサービスで利用する方から、かなり寝たきり近い住んでる方まで、とてもたくさんだった。
最近まで身近でお年寄りに会っていたから、初めてこういう場所に入ったけど、割とすっと慣れた。
その施設利用者のご家族がお金を出し合って買ったらしい、小さいけど立派な和太鼓を持って、音楽療法士の方と共にいろいろなフロアをまわる。ここでは日頃から和太鼓をやっているそうで、肩を動かす運動にもなるし、リフレッシュになるし、第一にお年寄りの皆様、太鼓の音楽が本当に好きなんだそうだ。
歩ける人は立って、車椅子の人は座ったまま、先輩や療法士の方が下を打つ上に、思い思いに叩く。みんなリズムがいいし、ほんとに楽しそうに叩く。周りで叩かない人は、手拍子して自然に歌う。(私もなんとなく合わせて歌ってたら、2曲くらい民謡覚えた!)
日舞のお姉様もボランティアに来ていた回は
「お兄ちゃんも踊るの!」
と言われて姉様達の間にサンドイッチされてぎこちなく踊りました 苦笑
(この日会った8割くらいの方が、髪型から私を中高生男子と思っていたようです 笑)
各回ごと、一通りみんな叩いたら、私達は小笠原太鼓を叩く。寝たきりの人には部屋のドアを開けて部屋の前で叩いた。
こないだデビューさせてもらった私の太鼓は正直まだまだ…なのだけど…
↓デビューの時の話
アサリの島流し 246日目 - 月に梯子をかける - アサリの島流し紀行
お兄ちゃん偉いね…偉いね…と孫のように私を抱きしめようとする方。来てくれるなんて…思わなかったよ…と涙を流す方。
一杯やりながら神輿担ぐよ!と意気上がる方。
うちのひ孫があそこに住んでるから、行って聞かせてあげてほしい、と一生懸命話す方。
いつもは意思疎通が難しいのに、初めて笑顔を見せたらしい方。
私は人の前で音楽をしていた。ライブハウスという、演奏する側聞く側どちらも「あれしたい!これしたい!」を毎日ぶつけ合う場所にいた。
なんだろう。
こんなに有り難い場所は初めてだった。
それはついこの前、カヌー大会の夜のあの子のことを思い出さずにはいられない。
↓カヌー大会の夜のこと
アサリの島流し 230日目 - 9月のこと - アサリの島流し紀行
ちょっと本当にうまく言えないけど…
胸の中に柔らかい香りが充ちるようだった。
私はふと、今の島の暮らしから形のないお土産を、東京に持って行けたんだって気がついた。それは必然的に。この島を離れた後の事につながる。
帰省する事を決めた時、私は島から帰る日も決めました。
350日目に、私のホームであったライブハウス・高円寺ミッションズが高架の耐震補強工事による移転先が決まらず、一旦閉店する。
その日にそこへ行けるように帰る。
母島も高円寺も同じように愛しくなった今、寂しい気持ちもあるけれど。
島の暮らしが、自分の中にすでにできてきていた何かを見えるように、目を開かせてくれたんだと思う。
そして、今まで全然なかったアイデアが夜明けの光のように射し始めた。
350日目まで、あと100日を切った。
帰りの船でもしっかり飲んで、テイクアウトのハンバーガーお土産を26時間かけて持ち帰って、また汗だくの島に戻った。
ははじま丸も慣れるとあっという間。
デッキに飛び出すと青い鮮やかな島が見えて、ああ、あと100日がはじまるんだ
と思った。
内地帰省編…やっとおしまい!